有馬温泉街から東に行き、杖捨橋を越え、神戸市北区有馬町瑞宝寺山にある瑞宝寺公園を訪れた。
ここは、明治新政府の廃仏毀釈により、明治6年に廃寺になるまで、瑞宝寺という黄檗宗の寺院があった場所である。
慶長九年(1604年)に大黒屋宗雪がこの地に瑞宝庵を建て、その孫の三七郎が黄檗宗の宇治万福寺に帰依して、寛文十三年(1673年)に瑞宝寺を開創したのが、この寺の始まりであった。
瑞宝寺は廃寺になったが、明治元年に伏見桃山城から移築した山門が現在に残っている。
瑞宝寺の伽藍が整備されたのは、文化年間(1804~1818年)のことである。
その後慧定真戒が境内を整備し、楓や桜を植えた。そのころから、瑞宝寺は時の経つのを忘れる場所ということで、「日暮しの庭」「錦繍谷」と呼ばれるようになった。
廃寺になった瑞宝寺の境内は、昭和26年に神戸市により整備され、瑞宝寺公園として蘇った。
ここがかつて寺院だったことを示すものは、十三重の塔と歴代住職の墓くらいなものである。
また境内には、紫式部の娘の大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑がある。
この歌碑には、百人一首にも選ばれた、「ありま山 ゐなの篠原かぜ吹けば いでそよ人を 忘れやはする」という歌が刻まれている。
大弐三位に足遠になった男が、大弐三位に送った探りの歌への返信である。
どうして私があなたを忘れることがありましょう。忘れたのはあなたの方ではありませんか、と男をなじった歌である。
境内には、かつてここにお堂があったな、と思える場所がある。
その場所には、今は東屋が建っている。
その前の広い空間にお堂が建っていたのではないか。
また境内には、太閤秀吉が、碁を楽しんだという石の碁盤がある。
柔らかい日差しの中、ここで秀吉が誰かと碁を指していたと思うと、微笑ましい気分になる。
温かい気持ちで公園を後にした。