最上稲荷 その5

 七十七末社が祀られているエリアの中心に、旧本殿の霊応殿が鎮座する。

霊応殿

 霊応殿は、最上稲荷で最古の建造物である。

 寛保元年(1741年)に、妙教寺七世日道聖人によって再建された。

 奥から順に、本殿、誦経堂、拝殿、前堂の四棟から成っている。

前堂

前堂の彫刻

前堂の天井

 四棟とも総欅造りで屋根は檜皮葺である。

 前堂は、拝殿の長い向拝のようなものである。

拝殿

拝殿の屋根

 拝殿と誦経堂の間は一体化している。

 神社建築の拝殿があると同時に、本尊に経を上げる誦経堂を有しているのが、神仏習合の寺院らしい。

拝殿、誦経堂から本殿にかけて

誦経堂

 誦経堂には、華頭窓があり、寺院建築であることが分かる。

 誦経堂の前面の天井は折り上げ格天井になっている。格式の高い空間である。

 「最上位」と書かれた扁額の周囲は、麒麟の微細な彫刻が施されている。

誦経堂の前面

折り上げ格天井

扁額と麒麟の彫刻

 また誦経堂前面の戸にも、印象的な彫刻が施されている。

誦経堂前面の戸の彫刻

 霊応殿本殿は、播州赤穂木津村の大工野村家慶、野村家規を棟梁として建築された。木津大工の作例の一つである。

 霊応殿に伝わる棟札にもその旨が書いている。野村家に伝わる文書にも、本殿建築の次第が書いてあるそうだ。

本殿

 本殿は、内外共に三間仏堂の様式を持っており、寺院内の稲荷社という要求を満たした建物であるという。

 霊応殿は、昭和49年に曳屋工法により現在地に移築された。以前は、現本殿の霊光殿がある場所に建っていたのだろう。

 旧本殿の霊応殿は、岡山市指定重要文化財となっている。

 さて、霊応殿の周囲を、七十七末社の祠が取り囲んでいる。

霊応殿を囲む七十七末社

 霊応殿を囲む七十七末社は、いずれも立派な祠に祀られている。

 この中に、七十七末社中の四天王と呼ばれる、羽弥御崎(はやみさき)天王、荒熊天王、日車(ひぐるま)天王、大僧正天王の四社がある。

羽弥御崎天王

 羽弥御崎天王のご威徳は商業で、商売繁盛の願いを満たしてくれるそうだ。

 虹梁や尾垂木の彫刻が見事で、国登録有形文化財である。

 荒熊天王のご威徳は軍事で、勝負必勝、武道向上の願いを叶えてくれる。

荒熊天王

 こちらも蟇股や虹梁の彫刻が見事である。国登録有形文化財である。

 因みに、国登録有形文化財となっている末社は、全部で20社あるが、全てを紹介することは出来ない。

 大僧正天王のご威徳は火難で、火難消除の願いを叶えてくれる。消防士は、この末社を参拝するといいのではないか。

大僧正天王

 四天王の最後に紹介する日車天王のご威徳は、文学(学問)で、学業成就の願いを叶えてくれるらしい。

 さすがにここは参拝者が多く、写真を撮るために近づくのに手間がかかった。

日車天王

 日車天王の建物も、国登録有形文化財である。

 ずらりと並ぶ末社群を見ると、人の望みや願いには際限がなく、娑婆世界には人々の欲望が渦巻いているのを実感する。

 昨日の記事にも書いたが、人間の生存本能を無くすことは出来ない。欲は人を苦しめると同時に、人を前に進める強力な力を持っている。

 願掛けをする多くの参拝客を見て、むしろこちらも元気をもらうような、頼もしい気持ちになった。