最上稲荷 その7

 本滝の見学を終えて、更に龍王山を登っていく。

 途中、赤鳥居があり、ここから聖域が始まるような雰囲気を漂わせている。

参道途中の赤鳥居

 赤鳥居を過ぎて、参道を奥之院目指して登っていく。

 すると、高く聳える巨石群が見えてくる。題目岩のある巨石群である。

 その下に白瀧天王の祠がある。

巨石群と白瀧天王

 白瀧天王の背後にある巨石群は、巨大な花崗岩が幾重にも積み重なったもので、見るものを圧倒する。

巨石群

 巨石群の上に、お題目が刻まれた題目岩と、「法華経」の守護神・鬼子母神を彫った岩がある。

 そこまで上がって行く細い道がある。

題目岩までの道

 登っていくと、間近で鬼子母神と題目岩を見ることが出来る。題目岩は、高さ8メートルの巨岩である。

題目岩と鬼子母神

鬼子母神

題目岩

 お題目とは、「南無妙法蓮華経」のことを指す。日蓮宗では、「法華経」というテキストを、衆生を救う唯一の経典として敬っている。

 「南無妙法蓮華経」とは、「妙法蓮華経法華経)」に帰依するという意味である。

 「法華経」で説法しているのは、釈迦であるが、これは歴史上実在の人物である釈迦ではなく、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦如来であるとされている。

 久遠実成の釈迦如来とは、遥か過去に悟りを開き、遥か未来まで存在する永劫不滅の存在で、言わば悟りの本体である。

 歴史上の釈迦は、この久遠実成の釈迦如来が、人前に現れた姿だという。

 鳩摩羅什が漢訳した「法華経」は、名文である。久遠実成の釈迦如来が語った教えと言われても納得してしまうような、文学的躍動感に溢れている。

 日蓮は行動的な人だったが、名文は人を行動的にさせる。

 さて、題目岩を過ぎて参道を更に登ると、奥之院と八畳岩との分岐点に来た。

奥之院と八畳岩との分岐点

 私は左の八畳岩に向かった。

 八畳岩は、天平勝宝四年(752年)に、開山報恩大師が、孝謙天皇の病気平癒を祈るために訪れ、本尊最上位経王大菩薩を感得した霊地である。

八畳岩

 報恩大師は、八畳岩の下の霊窟に籠り、「法華経」の中の「観音菩薩普門品」を唱え続けたという。

 唱え続けて21日目の早朝に、最上位経王大菩薩を感得し、その姿を自ら刻み、祈願を続けた。

 すると天皇の病はたちまち癒えたそうだ。

八畳岩の霊窟

 報恩大師が刻んだ最上位経王大菩薩の像は、最上稲荷の本尊となったが、天正十年(1582年)の秀吉の備中高松城攻めに際して最上稲荷が全焼した際、本殿からこの霊窟に移されたという。

 江戸時代になって、最上稲荷が再建されるまで、本尊はこの霊窟に祀られていた。

 ここからは、備中高松城を含む高松地区がよく見える。

八畳岩から眺める高松地区

 ここから見える平地は、秀吉の備中高松城水攻めに際し、水没した。

 最上位経王大菩薩は、眼下に繰り広げられた人間同士の殺戮の様相を、どのようなお気持ちで眺めたことだろう。