最上稲荷の広大な境内の東側には、客殿や根本大堂といった古い木造建築が建つ一角がある。
昭和になってから建てられた仁王門と霊光殿を見た後に、ようやく古い寺院の雰囲気を味わうことが出来た。
国登録有形文化財の山門を潜って、根本大堂のある区画に入った。
山門は、重厚な四脚門である。
山門を入って左手には、大正5年に妙教寺二十世日勝聖人によって再建された大客殿がある。これも国登録有形文化財である。
大客殿は、東西に長い立派な建物である。大客殿内では、お屠蘇を振舞っているようで、参拝客が続々と大客殿の中に入って行った。
さて、大客殿より奥に、明治14年に妙教寺第十八世日諒聖人により再建された根本大堂がある。こちらも国登録有形文化財である。
根本大塔には、日蓮宗の本尊としてよく祀られる一塔両尊四士と、日蓮聖人、報恩大師が祀られている。
一塔両尊四士とは、宝塔に「南無妙法蓮華経」と書かれたお題目を祀り、その左右に釈迦如来と多宝如来の両尊を祀り、その左右に上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の四士を祀ったものである。
根本大堂の扁額は、四囲を八匹の龍が取り巻くものであった。八大龍王尊を表しているのだろう。
大客殿と根本大堂の前には、樹齢約400年の大イチョウがある。
400年前は、丁度花房職之により最上稲荷が再建された頃である。
境内には、昭和52年に、大東亜戦争における比島(フィリピン)での戦没者を慰霊するために建立された比島観音があった。
この比島観音像は、比島での戦いで戦没した約50万人の軍人軍属在留邦人を供養するため、最上稲荷を信仰する戦友が建立したものであるという。
実は私の妻の母方の祖父が、大東亜戦争で、陸軍歩兵連隊の砲兵をしていて、マレー戦役、シンガポール攻略戦、フィリピン攻略戦に従事した。
祖父は、戦争を生き延びて、復員することが出来た。既に鬼籍に入っているが、私も一度だけお会いしたことがある。
妻は、亡くなった祖父の足跡を偲ぶため、フィリピン攻略作戦の戦史資料を渉猟していた。
そのため、私も比島の戦没者を他人のように思えない。