最上稲荷 その3

 最上稲荷の広大な境内の東側には、客殿や根本大堂といった古い木造建築が建つ一角がある。

 昭和になってから建てられた仁王門と霊光殿を見た後に、ようやく古い寺院の雰囲気を味わうことが出来た。

根本大堂の周辺の図

山門

 国登録有形文化財の山門を潜って、根本大堂のある区画に入った。

 山門は、重厚な四脚門である。

 山門を入って左手には、大正5年に妙教寺二十世日勝聖人によって再建された大客殿がある。これも国登録有形文化財である。

大客殿

大客殿唐破風

唐破風下の彫刻

 大客殿は、東西に長い立派な建物である。大客殿内では、お屠蘇を振舞っているようで、参拝客が続々と大客殿の中に入って行った。

大客殿

 さて、大客殿より奥に、明治14年妙教寺第十八世日諒聖人により再建された根本大堂がある。こちらも国登録有形文化財である。

根本大堂

 根本大塔には、日蓮宗の本尊としてよく祀られる一塔両尊四士と、日蓮聖人、報恩大師が祀られている。

 一塔両尊四士とは、宝塔に「南無妙法蓮華経」と書かれたお題目を祀り、その左右に釈迦如来多宝如来の両尊を祀り、その左右に上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩の四士を祀ったものである。

根本大堂正面

扁額

 根本大堂の扁額は、四囲を八匹の龍が取り巻くものであった。八大龍王尊を表しているのだろう。

 大客殿と根本大堂の前には、樹齢約400年の大イチョウがある。

イチョウ

 400年前は、丁度花房職之により最上稲荷が再建された頃である。

 最上稲荷山妙教寺の復興を記念して植えられたものだろうか。

 境内には、昭和52年に、大東亜戦争における比島(フィリピン)での戦没者を慰霊するために建立された比島観音があった。

比島観音

 この比島観音像は、比島での戦いで戦没した約50万人の軍人軍属在留邦人を供養するため、最上稲荷を信仰する戦友が建立したものであるという。

比島観音

比島観音の石碑

 実は私の妻の母方の祖父が、大東亜戦争で、陸軍歩兵連隊の砲兵をしていて、マレー戦役、シンガポール攻略戦、フィリピン攻略戦に従事した。

 祖父は、戦争を生き延びて、復員することが出来た。既に鬼籍に入っているが、私も一度だけお会いしたことがある。

 妻は、亡くなった祖父の足跡を偲ぶため、フィリピン攻略作戦の戦史資料を渉猟していた。

 そのため、私も比島の戦没者を他人のように思えない。

 最上稲荷は、懐の深い神様のようにお見受けする。戦没者の様々な気持ちも、温かく受け入れて下さっているに相違ない。