美作

荒神山城跡

11月14日に、今年の夏以来の美作の旅をした。 最初に訪れたのは、岡山県津山市荒神山にある荒神山城跡である。 荒神山 荒神山は、標高約298メートルの低山である。 荒神山城跡へは、麓の集落から登って行くことになる。 荒神山城跡への登り道 舗装された道を…

作楽神社 後編

作楽神社の境内の東側には、院庄館の東大門の跡がある。 児島高徳は、この東大門の近くにあった桜の木に十字の詩を書きつけたという。 東大門跡 院庄碑 貞享五年(1688年)、津山藩森家の家老、長尾勝明は、東大門跡に児島高徳を顕彰する石碑を建てた。 貞享…

作楽神社 前編

真福寺から南下し、津山市下田邑にある流通第二公園に向かった。 ここは、津山市街の郊外にある企業団地の中の公園だ。 流通第二公園 この公園の南側の丘の上に、田邑丸山古墳群があるとのことであった。 丘に入る道があったので、登ってみた。 丘に入る道 …

津山市加茂町ところどころ

津山市加茂町の中心部にある万燈山古墳の見学を終えると、加茂町の中心部から倉見川沿いに北上した。 県道336号線を約4キロメートル行くと、木もれ陽の森キャンプ場に入っていく細い道がある。 このキャンプ場の中に、8世紀半ばのたたら製鉄の遺跡であるキ…

万燈山古墳

津山市加茂町塔中にある万燈山古墳は、6世紀末に築かれた円墳である。 古墳は、めぐみ荘という老人ホームから北に行った突き当りの丘上にある。 万燈山古墳がある丘 古墳への登り口 登り口から登り始めると、舗装路に出る。舗装路に出てすぐに左側に登る道…

矢筈城跡 後編

矢筈城跡を登るにつれて、雨脚が早くなってきた。傘を差しながら登山を続けた。 台風で警報が出る中の登山など、我ながら正気の沙汰ではないなと思ったが、逆に言うと片手で傘を差しながら登れるほど登りやすい登山道が続くのである。 大岩を過ぎてしばらく…

矢筈城跡 前編

JR知和駅の前の道から、矢筈城跡のある矢筈山を見上げることが出来る。 矢筈山は、標高約756メートル。この山上にある矢筈城跡は、全国の城跡の中でも、最も高地にある城跡である。 矢筈山 矢筈山は、巨大な山体を持つ山である。JR美作河井駅前には、矢筈城…

因美線の鉄道遺産

8月9日に台風9号が九州から中国地方を横断した。 こんなコンディションの日に、物好きな私は美作の史跡巡りに出掛けた。 この日の目的地は、津山市の北部で、私が訪れた時は丁度台風が津山市に接近していて警報が出ていた。 しかし、台風の中心に近い方が…

美和山古墳群

高野神社の参拝を終え、国道179号線を挟んで北側にある美和山古墳群を訪れた。ここも津山市二宮になる。 美和山古墳群は、国指定史跡で、4~5世紀に築かれた古墳群とされている。 前方後円墳の1号墳と、円墳の2、3、6号墳の4つの古墳がある。 美和山…

津山市 高野神社

黒沢山萬福寺から下りて南に車を走らせる。津山市二宮にある高野(たかの)神社を訪れた。 高野神社は、美作国の二宮である。美作国では、一宮の中山神社に次ぐ社格の神社である。 創建は第27代安閑天皇二年(534年)とされている。となると、中山神社より古…

黒沢山萬福寺

中山神社から北に走り、標高約668メートルの黒沢山山頂にある萬福寺を目指した。地名で言えば、岡山県津山市東田辺にある。 黒沢山は、神楽尾山の山頂からも目にすることが出来た。 萬福寺に至る山道は、細く曲がりくねっている。ZC33Sスイフトスポーツの独…

中山神社

美作国一宮である中山神社を訪れた。中山神社は、岡山県津山市一宮にある。 一宮には、その国で最も社格が高い神社が当てられていることが多い。中山神社は、近代社格制度の下では、国幣中社であった。 私が史跡巡りで訪れた一宮としては、播磨国一宮の伊和…

神楽尾城跡 後編

馬場から南に行けば三の丸の遺構がある。 参考までに、馬場の説明板に掲示していた城跡の縄張り図を出しておく。 神楽尾城跡の縄張り図 神楽尾城は、永禄九年(1566年)以降、毛利方の城であったが、最終的に宇喜多直家の攻撃によって陥落した。秀吉の時代に…

神楽尾城跡 前編

沼弥生住居跡から西の方を見ると、津山市街の西側に聳える神楽尾(かぐらお)山が見える。 神楽尾山は、標高308メートルで、山上に土で築かれた戦国の山城、神楽尾城跡がある。 ここがなかなか印象的な城跡であった。 神楽尾山 上の写真の丁度真ん中の、少し…

沼弥生住居跡群

岡山県津山市沼にある沼弥生住居群跡は、弥生時代中期から弥生時代後期にかけての集落の遺跡である。 昭和27年から昭和33年にかけて、5次にわたる発掘調査が行われた結果、竪穴住居5棟、長方形竪穴遺構1基、土坑1基、掘立柱建物3棟の跡が確認された。 …

美作総社宮

美作国府跡の西側にある亀甲山という小高い丘の上に、美作国65郷の全ての社の神々を合祀する美作総社宮がある。地名では津山市総社になる。 美作総社宮鳥居 日本各国に一社は、名に「総社」とつく神社がある。 国庁に赴任した国司は、国中の神社に参拝するの…

美作国府跡 

鶴山八幡宮から北上し、津山市総社にある国府台寺を訪れた。 この寺は真言宗の寺院であるが、今国府台寺が建つ場所が、かつての美作国府跡だとされている。 国府とは、国の行政庁である国庁が置かれた町を指す。今の県庁所在地のようなものだ。 国府台寺 国…

岡山県立津山高等学校本館 十六夜山古墳 鶴山八幡宮

衆楽園から西に走り、津山市椿高下にある岡山県立津山高等学校を訪れた。訪れた、と言っても校内に入ったわけではない。 津山高等学校の本館は、明治33年(1900年)に竣工した旧岡山県津山尋常中学校の本館である。 岡山県立津山高等学校本館 津山高等学校本…

衆楽園 後編

衆楽園内の散策を続ける。余芳閣の近くには、池に臨んで枝垂桜が咲いている。 枝垂桜 明治の廃藩によって、津山藩は廃絶となったが、その際園内の建物の多くは解体された。 明暦年間の創園当時から残っているのは、藩主の休憩所であり、客人と対面した建物で…

衆楽園 前編

4月3日に岡山県津山市を久々に訪れた。昨年8月30日以来の訪問である。前回は酷暑の中の訪問だったが、今回は過ごしやすい気候の中での訪問となった。 津山と言えば、鶴山公園(津山城跡)の桜が有名だが、前回津山城跡を訪れているので、今回は横目に見な…

豊楽寺 旭川第一ダム

志呂神社から南に行き、岡山市北区建部町豊楽寺にある静謐山豊楽寺(ぶらくじ)を訪れる。 ここは、真言宗の寺院で、寺伝によれば、和銅二年(709年)に玄昉上人が開基し、その後鑑真和尚が堂塔伽藍を整えたという。 豊楽寺仁王門 仁王像 岡山市指定重要文化…

志呂神社

佛教寺から国道53号線を南下し、岡山市北区建部町下神目(しもこうめ)にある志呂神社を訪れた。 岡山市北区建部町の内、建部町福渡より北の旭川左岸は美作国の領域になる。 志呂神社随神門 志呂神社のかつての社格は県社である。 創建は和銅六年(713年)で…

医王山佛教寺

JR弓削駅から南下し、岡山県久米郡久米南町仏教寺にある医王山佛教寺を訪れた。ここは真言宗の寺院である。 仁王門 佛教寺は、寺伝によれば、和銅三年(710年)に喜恵上人が開基した。9世紀には真言密教の道場になっていたようだ。 寺を訪れると、まず立…

護法祭

美作国久米郡の幾つかの寺院には、鎌倉時代から護法祭という奇祭が受け継がれている。 今回は、護法祭を現在も行っている寺院を2つ紹介する。護法祭は、岡山県無形民俗文化財となっている。 その祭りは、毎年8月13~15日の深夜に行われる。 護法善神という…

誕生寺 その5

誕生寺客殿のショーケースの中には、法然上人が熊谷入道に宛てた書状の複製が展示してある。 法然上人から熊谷入道への書状 熊谷直実が、平敦盛を討ち取った後、世の無常に目覚め、法然上人の門を叩いた時、上人と熊谷直実がどんな対話を行ったか興味深いと…

誕生寺 その4

誕生寺には、客殿(方丈)があり、法楽園という立派な庭園を有する。 拝観料は200円だが、非常に見応えがある。訪れた際は、是非拝観することをお勧めする。 客殿 客殿の正面には唐門がある。唐門は、初代が室町時代に建てられた。今ある唐門は、文政十二年…

誕生寺 その3

誕生寺は、天正六年(1578年)に、岡山城主宇喜多直家の軍勢に襲撃され、御影堂が焼け落ちた。 そのような法難が二度と起こらないように、延享二年(1745年)に誕生寺守護仏として守護大仏が開眼供養された。 作者は梵鐘職人の名人、大谷相模掾藤原正次であ…

誕生寺 その2

誕生寺を創建したのは、一の谷の合戦で平敦盛を討ち取った後、世の無常に目覚め、出家して法然上人に弟子入りした熊谷直実こと法力房蓮生である。 法然は、43歳の時に自分の像を自作した。 建久四年(1193年)、蓮生は法然の意を受け、法然自作の御影像を、…

誕生寺 その1

片山潜記念館から西に行き、南北に通るJR津山線を越え、岡山県久米郡久米南町里方の栃社山誕生寺に至った。 ここは、浄土宗の開祖法然上人が誕生した地とされている。法然上人二十五霊場第一番で、浄土宗特別寺院である。 山門 まず出迎えてくれるのは、大…

片山潜記念館

今回紹介するのは、明治時代に日本社会党(戦後に設立された日本社会党とは別の政党)を結成し、大正11年の日本共産党の創設に尽力した片山潜(かたやません)の事績についてである。 今まで当ブログを読んでこられた方の中には、当ブログの筆者を保守的な政…