中山神社から北に走り、標高約668メートルの黒沢山山頂にある萬福寺を目指した。地名で言えば、岡山県津山市東田辺にある。
萬福寺に至る山道は、細く曲がりくねっている。ZC33Sスイフトスポーツの独壇場である。パドルシフトを使わずとも、太いトルクで軽い車体をすいすい登攀させる。
楽しんでいる間に山上に着いた。
寺の展望台からは、津山盆地を見下ろせる。神楽尾山も眼下にある。
萬福寺は、真言宗の寺院である。虚空蔵菩薩を祀る。福島県の円蔵寺虚空蔵堂、三重県の金剛證寺と並んで、日本三大虚空蔵霊地の一つであるという。
和銅元年(708年)に、黒沢山山頂の檜の梢に虚空蔵菩薩が来臨した。その霊瑞を目撃した猟師により、お堂が建てられたのが萬福寺の発祥だという。
虚空蔵菩薩は、密教で信仰される菩薩のひとつである。虚空とは大宇宙の謂いである。虚空蔵菩薩は、大宇宙のような広大な智慧と慈悲を持った菩薩とされている。
本堂は、銅板葺きの入母屋造の屋根を持ち、唐破風の向拝が付いている。向拝の蟇股の龍虎睨みあう彫刻が見事である。
本堂の裏から、黒沢山の山頂に登ることが出来る。山頂近くに奥の院がある。
登っていくと、「求聞持道場」という看板が掲げられた建物があった。
この道場は、弘法大師空海が行った密教の荒行の一つ、虚空蔵求聞持(こくうぞうぐもんじ)法を行うためのものだろう。
虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩の真言である「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オンアリキャ マリボリ ソワカ」を50日間か100日間の間に100万回唱えるという行である。真言を唱える時のお堂の場所や、本尊、自分の向きなども決まっているそうだ。
この行を達成した暁には、宇宙のあらゆるものを記憶して忘れなくなるという。
弘法大師空海は、まだ入唐する前の若き頃、四国の山野で修行を行い、土佐の室戸岬にある御厨人窟(みくろど)の中で虚空蔵求聞持法の満願を迎えた。
その時、弘法大師は口の中に明星(金星)が飛び込んでくるという体験をした。明けの明星は、虚空蔵菩薩の化身とされる。
空海は24歳の時に書いた「三教指帰(さんごうしいき)」の中で、この瞬間の体験を、「谷響きを惜しまず、明星来影す」と書いている。空海自筆の「三教指帰」は、国宝として現在まで伝わっている。
目を開けた空海の目の前には、室戸岬の先にある空と海ばかりが見えた。弘法大師は自己の名前に「空海」を選んだ。
萬福寺には、日本に残る数少ない虚空蔵求聞持法のための道場があるのだ。
求聞持道場の裏には、護摩堂がある。
護摩堂は、護摩行を行うお堂だが、ここの御本尊である銅製の虚空蔵菩薩像には、自由に触れることが出来る。触れて願い事を祈ることが出来るようだ。
護摩堂は無人だが、自由に出入りできる。お堂に入ると、ついさっきまで使っていたかのような、簡素な護摩壇がある。
護摩堂の中は、護摩行を行うためか、天井も壁も黒く煤けている。
護摩壇正面の壇の中には、御本尊の虚空蔵菩薩像と不動明王立像が祀られている。
さて私も、黒光りする虚空蔵菩薩像に触れて願い事を祈ってみた。願い事は、史跡巡りを無事に続けることが出来ることである。
護摩堂の隣には、木造の小さなお堂がある。
このお堂も求聞持堂と言うらしい。願い事を書いた絵馬をこのお堂に投げ入れるようだ。
実を言うと、私も虚空蔵求聞持法の真似事をやってみたことがある。真言宗の数珠を爪繰りながら、虚空蔵菩薩の真言を100回唱えてみたが、それだけで喉が渇いてかなわなかった。
100日で100万回唱えようと思ったら、1日1万回唱えなければならない。これを1日の間にあと99回繰り返すことを想像すると、それだけで無理だと思った。
弘法大師空海のように、虚空蔵菩薩の加持を得て、宇宙のあらゆることを記憶できるようになればいいのかも知れないが、無理をせず平々凡々と生きるのも仏の道と思い諦めた。