美作

誕生寺 その1

片山潜記念館から西に行き、南北に通るJR津山線を越え、岡山県久米郡久米南町里方の栃社山誕生寺に至った。 ここは、浄土宗の開祖法然上人が誕生した地とされている。法然上人二十五霊場第一番で、浄土宗特別寺院である。 山門 まず出迎えてくれるのは、大…

片山潜記念館

今回紹介するのは、明治時代に日本社会党(戦後に設立された日本社会党とは別の政党)を結成し、大正11年の日本共産党の創設に尽力した片山潜(かたやません)の事績についてである。 今まで当ブログを読んでこられた方の中には、当ブログの筆者を保守的な政…

岩間山本山寺 後編

本山寺本堂は、観応五年(1350年)の再建とされ、桁行五間、梁間五間、一重の寄棟造で檜皮葺の屋根を持つ。 国指定重要文化財である。 本堂 端が反り返った屋根が、翼を広げたようで美しい。柱は総丸柱で、直径は約49.8センチメートルあり、岡山県内の江戸時…

岩間山本山寺 前編

晩夏に津山城を訪れて以来、久々に美作に来た。 今日紹介するのは、岡山県久米郡美咲町を代表する寺院、岩間山本山寺である。 本山寺は、現存する美作の寺院の中では、最古の寺院である。現在は、天台宗の寺院である。 吉井川沿いの交通の要衝大戸下(だいと…

津山市 本源寺 安国寺

妙法寺から北東に歩き、津山市小田中の本源寺に至る。妙法寺は松平家の菩提寺だったが、本源寺は津山藩主森家の菩提寺である。 古びた山門が出迎えてくれる。 本源寺山門 瓦が崩れ出しそうな門である。 本源寺は、臨済宗の寺院である。足利尊氏が暦応二年(1…

津山市 泰安寺 妙法寺

徳守神社から西に歩き、藺田川を越えて西寺町に入る。西寺町は、多数の寺院が集中する町である。 今日は西寺町にある2寺院を紹介する。 まず訪れたのは、浄土宗の寺院、泰安寺である。 泰安寺表門 泰安寺は、森氏の所領だった美濃国金山にあった涅槃寺が前…

徳守神社

妙願寺から西に歩き、津山市宮脇町の徳守神社に至る。 徳守神社 徳守神社の祭神は、天照大神である。天平年間(729~749年)にこの地に勧請されたという。 当社は、中世には、田中郷富川宿の鎮守であったが、天文八年(1539年)の尼子・山名両氏の合戦により…

法雲山妙願寺

津山市の中心にある百貨店天満屋に車を駐車して、徒歩で津山城下の寺社等を巡ることにした。 最初に訪れたのは、平沼騏一郎首相の旧宅を復元した知新館である。津山市南新座にある。 知新館 平沼騏一郎は津山出身の法曹家で、検事総長や大審院(現在の最高裁…

津山郷土博物館 後編

当ブログ今年2月3日の「旧勝北町の史跡」の記事で、津山市役所勝北支所の前にある宝篋印塔二基を紹介した。 この辺りからは昭和57年の国道53号線拡幅工事の際に、中世の墓地の遺跡が見つかった。観音堂遺跡という。 観音堂遺跡からは、古備前の骨蔵器や、…

津山郷土博物館 前編

つやま自然のふしぎ館の東隣には、旧津山市庁舎を利用した津山郷土博物館が建っている。 津山郷土博物館 津山郷土博物館の建物は、昭和8年に津山市政施行を記念して建てられたもので、約50年間津山市庁舎として使用された。 津山市内の鉄筋コンクリート造り…

つやま自然のふしぎ館 後編

つやま自然のふしぎ館第9室には、極地の生物だけでなく、南米の動物の標本も展示されている。 ジャガーの標本など、今にも襲いかかってきそうな迫力だ。 ジャガーの標本 一方木からぶら下がるナマケモノは、なんとものどかな風情だ。これでよく今まで生存競…

つやま自然のふしぎ館 中編

つやま自然のふしぎ館の2階に上る。 第5室は、「日本とアジアの動物」がテーマだが、いきなり牙を剥きだした2頭のトラが出迎えてくれる。 第5室の展示 アムールトラとスマトラトラ シベリア地方に生息するアムールトラ(写真右)と、インドネシアに生息…

つやま自然のふしぎ館 前編

道路を挟んで、森本慶三記念館の東隣にあるのが、昭和38年に開館した、つやま自然のふしぎ館である。 つやま自然のふしぎ館 森本慶三は、津山有数の富豪だった錦屋を継いだが、途中で自分の商才の無さに気づいて錦屋を廃業してしまった。 錦屋には莫大な富が…

森本慶三記念館 後編

津山森本家が経営した錦屋は、明治に入ってからも呉服商を続けていたが、明治15年に時計の販売を始めた。 津山初の時計店森本時計店である。森本時計店が明治時代に扱っていた置時計が展示されていた。 森本時計店が扱った置時計 しかし明治時代には、時計は…

森本慶三記念館 前編

津山城跡の北側、三枚橋の西詰に、幕末の津山藩の洋学者・宇田川興斎の旧宅跡がある。今は三角形の雑草が生い茂る空き地に説明板が立つのみである。 宇田川興斎旧宅跡 説明板 今年7月30日の当ブログ記事「津山洋学」で紹介したように、津山藩は洋学が盛んな…

津山城跡 後編

表鉄門の跡を通過し、津山城跡の本丸跡に入る。広々とした空間が広がる。 本丸の空間 かつてこの本丸跡には、広壮な本丸御殿が建っていた。 本丸から、今まで登って来た城の石垣群を見下ろす。 眼下の石垣群 さて、本丸の南西隅に、平成17年に再建された備中…

津山城跡 中編

熱風が吹く中、津山城跡を散策する。 かつて表中門があった辺りは、広い石段を北東西の三方向から石垣が囲んでいる。 表中門跡 広い石段の左手にある石垣が、これまた見事な穴太積である。 穴太積の石垣 不揃いな形の石垣の組合せが、隙間のない緊密な石垣よ…

津山城跡 前編

JR津山駅前には、今年7月30日の当ブログ「津山洋学」の記事で紹介した、津山藩を代表する幕末の洋学者、箕作阮甫(みつくりげんぽ)の銅像がある。 箕作阮甫像 大体駅前に設置される銅像は、その地域が最も誇りとする人物や、その地域を象徴するものの像…

津山まなびの鉄道館 後編

扇形機関車庫の中の一室が、「まちなみルーム」という名のジオラマ展示室になっている。 ジオラマ展示室入口 津山駅付近のジオラマ 扇形機関車庫や津山駅だけでなく、津山城址もジオラマで再現されている。子供のころには、こういうジオラマを見るとわくわく…

津山まなびの鉄道館 前編

美作に鉄道が敷設されたのは、明治31年の中国鉄道津山線(現JR津山線)の岡山津山間が開通したことに始まる。 美作地域には、古い鉄道駅舎など、鉄道遺産が数多く残っている。 岡山県津山市大谷にある、津山まなびの鉄道館は、国内では京都の梅小路機関車…

津山市 大隅神社

岡山県津山市上之町にある大隅神社は、宮川以東の津山城下の総鎮守である。 大隅神社 狛犬 大隅神社は、和銅年間(708~715年)よりも前から祀られていたとされている。 津山盆地の山林や原野を開拓し、美作の国造りの化身として崇められた「豊手」という異…

津山洋学

旧梶村家住宅の西隣りには、津山洋学についての資料館、津山洋学資料館がある。 津山洋学資料館は、内部の撮影が禁止されている。その内部は、江戸時代の人々が、西洋の文物に触れた時に感じたような、「ハイカラア」なものであった。 荒俣宏氏の博物学の世…

旧梶村家住宅 後編

旧梶村家住宅の「座敷」と呼ばれる建物は、大正期に建てられた2階建ての建物である。1階、2階とも南側がガラス張りで、冬の日差しの暖かい日などは、この建物で過ごすと心地好いだろうと思われる。 「座敷」の全貌 主屋と座敷は、廊下でつながっている。座…

旧梶村家住宅 前編

城下町津山は、慶長八年(1603年)に、森蘭丸の末弟・森忠政が、信濃国川中島より美作18万6500石に封ぜられ、その後歴代藩主が町づくりをしたことで形成された。 忠政は、慶長九年(1604年)、鶴山に城を築くことを決め、鶴山の地名を津山に改めた。 津山城…

美作の古墳 2

前回に引き続き、今回も津山市周辺の地味な古墳を紹介する。 津山市下高倉西にある堀内三郎右衛門の顕彰碑から南下して、津山市高野山西にある正仙塚古墳を訪れる。 正仙塚古墳への登り道 正仙塚古墳は、小高い丘の上にある。周りを藪に囲まれていて、墳形を…

美作の古墳

大和盆地の纏向地方に前方後円墳が出現し始めたのが、3世紀初頭である。少なくともこの時期までに、現在の皇室につながる王権が大和に誕生したと言われている。最近の歴史学会ではこれを大和王権と呼んでいる。 大和王権は、大和の大王を首長として、その下…

美咲町 本経寺

新型コロナウイルス対策のために発出された緊急事態宣言のため、史跡巡りは自粛中である。 宣言前に訪問した史跡は、今回紹介する本経寺で最後である。今日以降は、史跡の紹介は暫く休むことになる。 柵原鉱山資料館から西に行ってすぐの場所にあるのが、顕…

柵原鉱山資料館 後編

柵原鉱山資料館の地下1階には、在りし日の鉱山の作業を人形と機械で再現したコーナーなどがある。 地下1階には、エレベーターで下りていくが、坑道に下りるエレベーターをイメージした意匠が施されている。 坑道のエレベーターをイメージしたもの このエレ…

柵原鉱山資料館 前編

岡山県久米郡美咲町吉ヶ原の柵原ふれあい鉱山公園内にある柵原鉱山資料館には、大正時代から昭和時代にかけて最盛期を迎えた柵原鉱山に関する資料を展示している。 柵原鉱山資料館 慶長年間に、津山藩主森忠政が、津山城を築城するための石材を集めていた際…

片上鉄道

新型コロナウイルス対策のため、4月7日に政府から緊急事態宣言が出された。私が住む兵庫県も、対象地域となっている。 政府の緊急事態宣言を受けて、兵庫県は、県民に不要不急の外出の自粛を要請している。私の史跡巡りなど、不要不急な外出の最たるものな…