沼弥生住居跡群

 岡山県津山市沼にある沼弥生住居群跡は、弥生時代中期から弥生時代後期にかけての集落の遺跡である。

 昭和27年から昭和33年にかけて、5次にわたる発掘調査が行われた結果、竪穴住居5棟、長方形竪穴遺構1基、土坑1基、掘立柱建物3棟の跡が確認された。

 現在この遺跡は、史跡公園として整備され、昭和30年に復元された竪穴住居1棟が建っている。

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沼弥生住居跡群

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 遺跡は津山盆地を見下ろす丘陵上にある。ここでふと疑問に思ったのだが、弥生時代の食料生産の主力は、水稲耕作である。このような丘陵上だと、川から水を引いてくる灌漑農業が出来ない。かといって、雨水のみに頼っての稲作では、生産量に限りがある。

 恐らくこの丘の西側を流れる宮川沿いの低地に田を作り、住居はこの高台に作ったのだろう。高台に住居を建てたのは、洪水から身を守るためだったのだろうか。

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沼弥生住居跡群沼のジオラマ

 津山盆地には、紀元前3世紀に水稲耕作が伝わったとされている。

 農業には水が要る。天水(雨水)だけに頼る農業では、作物は僅かにしか収穫できない。

 水路を築いて川や湖などから田に水を引く灌漑農業を行うことで、作物の生産量を飛躍的に増加させることができる。

 農作物の生産量が増えると人口が増えるが、農業生産性が高くなると、1人が生産した作物で、1人以上の人間を食べさせることが出来るようになる。更に穀物を貯蔵して財産とし、貨幣のように物々交換に使うことが出来るようになる。

 そうすると、食料生産以外のことを仕事に出来る人が出てくる。「職業」の誕生である。

 世界四大文明も、灌漑農業をしやすい大河川の側に出来た。日本の弥生時代古墳時代の集落跡も、基本的に河川の近くに集中している。

 灌漑農業が、食料の余剰を生み出し、職業と財産を誕生させ、文明を作った。

 そう思えば、普段何気なく見ている農業用水路や溜池の偉大さが分かる。これらの設備は、我々の命をつないでいるのだ。

 さて、沼弥生住居群で発掘された住居跡は、柵で囲まれている。

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住居跡

 また、集落の中心には、長方形の建物跡があった。集落の共同作業場のようなものだったのだろう。

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長方形遺構

 農業に狩猟にしろ、人間は共同作業をすることでより多くの収入を得ることが出来る。人間は、どこまで行っても集団で行動するように出来ている。

 復元された竪穴住居は、多少痛んでいたが、垂木の放射状の組み合わせが見事であった。

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復元された竪穴住居

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竪穴住居の炉と床

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柱と梁、垂木

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垂木の放射状の組み合わせ

 この竪穴住居は、6本の柱に梁をかけ、その周りを垂木で囲んでいるが、垂木の頂上付近が放射状に組み合わされている。このような竪穴住居の屋根は初めて見たが、こうした方が風や揺れに強いのだろう。

 茅葺の技術は難しいかも知れないが、竪穴住居は、頑張れば日曜大工で作れそうに思えてくる。

 眺めのいい高台に余った土地があれば、竪穴住居を作ってみて、週末はそこで過ごすという生活も面白いかも知れない。

 沼弥生住居跡群の隣には、津山市内の遺跡から出土した遺物を展示する津山弥生の里文化財センターがある。

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津山弥生の里文化財センター

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 私が訪れた日は休館日であった。しかし、出入口のガラス越しに、美作の古墳からよく発掘される陶棺を見ることが出来た。

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陶棺

 沼弥生住居跡群の駐車場にあった説明板に、津山弥生の里文化財センターの展示品の写真が掲示してあった。

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展示されている弥生土器

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沼弥生住居跡から発掘された遺物

 今回は、弥生時代の集落跡を紹介したが、弥生時代水稲耕作が日本全国に広がり、灌漑農業も行われるようになって、食料の収穫量と人口が大幅に増えた時代であった。

 同時に食料の余剰をベースにして社会の分業が進み、その結果各地にクニが出来、後の大和王権発祥の礎が築かれた時代である。

 社会が大きく変貌する原因の最たるものは新しい技術が導入されることだが、ネット環境が劇的に整備されつつある現代も、後世から見れば社会が大きく変貌した時代と見なされることだろう。