岡山県立津山高等学校本館 十六夜山古墳 鶴山八幡宮

 衆楽園から西に走り、津山市椿高下にある岡山県立津山高等学校を訪れた。訪れた、と言っても校内に入ったわけではない。

 津山高等学校の本館は、明治33年(1900年)に竣工した旧岡山県津山尋常中学校の本館である。

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岡山県立津山高等学校本館

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 津山高等学校本館は、木造二階建て、寄棟造り、桟瓦葺きで、正面玄関にポーチを設け、中央に時計の付いた塔屋を備えている。

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岡山県立津山高等学校本館

 明治時代の洋館は、日本中に数多く残っているが、近代日本が産声を上げたことを記念する建物群として、後世にも尊重されることだろう。

 岡山尋常中学校は、明治28年(1895年)に開校となったが、初代校長は、水戸学の研究家で、夏目漱石正岡子規秋山真之とも交友のあった菊池謙二郎であった。

 岡山尋常中学校開創期の教師としては、明治の漢学者で文芸評論家の田岡嶺雲がいる。田岡は土佐出身で、自由民権運動の影響を受け、反戦、反資本主義、女性解放といった社会主義的評論を発表し、著作のほとんどが発禁処分となった。

 その他の教師に、津山出身の俳人で、正岡子規の友人の大谷是空がいる。

 明治は教育界も熱かったようだ。

 さて、この津山高等学校の敷地内に、十六夜山古墳がある。丁度本館裏にある。

 5世紀末に築造された前方後円墳で、墳長は約60メートルあるそうだ。

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十六夜山古墳

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 高校の敷地には入れないので、古墳にこんもり茂った木々を外から写すしかなかった。

 5世紀後半は、允恭天皇雄略天皇の時代で、皇室が全国に版図を広げつつあった時代である。

 この大きな前方後円墳が津山盆地の中央に築かれたということは、5世紀後半には、大和王権と関係の深い豪族がこの地を支配していた証であろう。

 それにしても、母校に前方後円墳があると、どんな気持ちになるのだろう。

 さて、津山高等学校を後にして、津山市山北にある鶴山八幡宮を訪れた。

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鶴山八幡宮

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鳥居前の狛犬

 鶴山八幡宮は、元々は現在津山城跡となっている鶴山に鎮座していた。

 慶長十年(1605年)、初代津山藩森忠政が、鶴山に津山城を築くにあたって、鶴山八幡宮を城南の覗山に移した。更に慶長十三年(1608年)に現在地に移した。

 祭神は、八幡大神である誉田別(ほむだわけ)命、すなわち応神天皇である。

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山門までの石段

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山門

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裏から見た山門

 社殿は、寛永十二年(1635年)、寛文九年(1669年)に二代藩主森長継により修復されている。

 本殿は、津山の神社建築の主流である中山造である。美作国一宮の中山神社の社殿の形からこの名称がある。

 中山造は、方三軒の入母屋造りの正面に、一間の唐破風の向拝を付けたもので、津山地方独特の神社建築である。

 鶴山八幡宮では、本殿が国指定重要文化財に、拝殿、釣殿、神供所と末社薬祖神社社殿が岡山県指定重要文化財になっている。

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拝殿

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拝殿の向拝

 拝殿の後ろには釣殿と神供所があり、その先に中山造の本殿がある。

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釣殿

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本殿

 中山造の本殿には、雄渾という言葉が相応しい。

 この本殿の特徴は、向拝の虹梁や蟇股、軒を支える斗供に施された彫刻である。昔は鮮やかに彩色されていたものと思われるが、年月と共に風化して、色彩が剝がれてしまっている。それでもこの彫刻は見事である。

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虹梁と蟇股の彫刻

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 三手先の斗供は、木鼻の龍の彫刻と、龍頭に乗って屋根を支える鬼の彫刻が面白い。

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斗供の彫刻

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 本殿の回廊は、簡素なしつらいである。

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本殿側面

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本殿の回廊

 古い木組みの建物は、味があっていいものである。

 本殿の裏には、岡山県指定重要文化財となっている末社薬祖神社がある。築造年代は不明だが、桃山時代の様式を残しているという。

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薬祖神社

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薬祖神社の蟇股

 この薬祖神社も鶴山から移されたものである。小さなお社であるから、簡単に移築出来たことだろう。

 ひょっとしたら、鶴山にあった社殿が、そのままここに建っているのではないかと想像してみた。

 薬祖神社の社の下には、最近気になっている大黒天の石像があった。

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大黒天の石像

 大黒天の石像がここにあるということは、薬祖神社の祭神は大国主命だろうか。

 今回の津山の旅で、この鶴山八幡宮を入れて、四棟の中山造の本殿を見学することができた。

 神社の本殿の様式からも、その地に祭られた神々の系譜や由来を読み解くことが出来る。

 津山は山陽や出雲と違う文化圏にあったようだ。