奥津温泉から岡山県道445号線を走り、峠を越えると、羽出(はで)という谷間の農村地域に出る。
地区の東端に近い山の麓に、七色樫と呼ばれる樹木がある。
七色樫は、ウラジロガシの一種で、四季を通じて葉の色が変わる珍しい木である。
春の赤に始まり、橙、黄、黄緑、緑、青緑、濃緑と1年に7回変化するから、七色樫や虹の木と呼ばれている。
七色樫は、今は黄色になっていて、一部橙色が残っている。木の前に水田があり、田に張った水に七色樫が反映して、幻想的な風景になっている。
日本は、狭い国土の中に、亜寒帯から温帯、亜熱帯、低地から高山まで、様々な植物が繁茂する国である。
これ程多くの種類の樹木がある国は、世界中を見てもなかなかないのではないか。
この木を見て、日本に住む幸せを改めて嚙み締めた。
七色樫から西に行くと、羽出神社がある。
羽出神社には、毎年5月10日に行われる、お田植祭り行事が伝わっている。
羽出神社のお田植祭りは、田植え前に行われる豊作を祈る神事である。
境内の一隅に土俵状の砂盛りを設け、その上で牛役と牛使い役が馬鍬を引いて田の代掻きの動作をして田植えを準備する。
次に子供たちが、早苗に見立てた杉の枝を持って土俵の周りに集まり、大人が子供を後ろから支えて、太鼓の調子に合わせて、共に田植えの歌を歌いながら田植えの仕草をする。
杉の枝は持ち帰り、苗代田に植えてその年の豊作を祈るのだそうだ。
約250年前に始まった祭りらしい。
羽出神社の拝殿と本殿の彫刻は、なかなか凝ったもので、このような山間部に、このような立派な社殿があるものだと感心した。
本殿の背後に、摂社があるが、この摂社も小さいながら立派なものであった。
日本人のほとんどが農業を生業としていた時代には、一年は田植えに始まり米の収穫に終わった。
それ以外は、越冬と副食物の準備に費やされたことだろう。
そんな時代には、豊作を祈る祭りは、村にとって何よりも大事なものだったろう。
文化というものは、時代を超えて継承される要素があるが、その文化が意味するところのものは、文化が発生した時代の世相から考えなければ掴めない。
貴族の文化や宗教思想、武士の合戦は、日本の歴史の上澄みで、歴史上を生きた大半の日本人は、農作業に明け暮れていた。
そう考えれば、日本の歴史の主要部分は、農作業なのである。
さて、羽出神社から西に行き、羽出西谷若曽という地域に行く。
若曽の集落から、西谷川沿いに北上すると、左手に枯死した大栩(おおどち)の木の幹が残っている。
この幹は、元々は羽出の大栩と呼ばれた、樹高約18メートル、樹齢約1,000年の木であった。
羽出の大栩は、平成3年の台風により、地上3メートルほどの所で折損したそうだ。
その後、完全に枯れてしまったのだろう。
羽出の大栩が枯れてしまったのは、残念な事ではあるが、森林では樹木が折れたり枯れたりすることで、地面に光が届き、新しい樹木が生まれることができるという。
一つの生命の死は、新しい命の誕生のために必要なことである。
ある生物が、単体で分裂して永遠に自分の分身を作り続けることが出来たら、不死の存在になるだろうが、そうなるとその生物の種が雌雄に分かれて、異なる遺伝子を組み合わせて、新しい命を作る必要がなくなる。
生物の性と死は、遺伝子を混ぜ合わせて種に多様性を持たせるために必要なものである。
死がこの世界から無くなれば、種の中で遺伝子に多様性を持たせることが出来ず、環境の変化に遭遇した場合、種が生き残ることが困難になるだろう。
そう考えれば、ある生物の個体の死は、種の存続のためには、必要なことである。
自分もいつか死ぬのだなと思うような年齢になってきたが、最近は死ぬのも仕事の内だと考えるようになってきた。