鏡野町 布施神社

 小田山城跡から下りて進路を西にとり、岡山県苫田郡鏡野町富西谷にある布施神社に赴いた。

布施神社

鳥居

 鳥居を潜ってすぐ右側に、欅の巨木がある。樹齢約500年の欅である。岡山県下三指に数えられる欅の巨木であるという。

神門

 布施神社の祭神は、素戔嗚尊とその妻・奇稲田姫(くしいなだひめ)命である。

 伝説では、布施神社は古代には白河山の宮住に鎮座していた。祭神が里へ御幸の砌、途中で大暴風に遭い、水無谷から漂流したという。

 そして柚子の木につかまって辿り着いた場所が三塚の壇の麓であった。

境内

拝殿とその背後の本殿(右)、相殿(左)

 村人は、三塚の壇に祠を建てて祭儀をしていたが、その下を通ると災厄があったため、永享年中(1429~1440年)に平地である現在地に社殿を移したという。

 布施神社は、古くは富荘24ヶ村の総鎮守で、布施大明神と呼ばれていた。

 素戔嗚尊は、向かって右の本殿(東の宮)に、奇稲田姫命は、向かって左の相殿(西の宮)に祀られている。

本殿

向拝の彫刻

本殿正面の彫刻

本殿手挟みと木鼻の彫刻

 本殿、相殿とも嘉永六年(1853年)に再建された。春日造り、銅板葺で、棟に千木と鰹木を載せた立派な社殿である。

 蟇股、木鼻、手挟みの彫刻が素晴らしい。

 相殿は、本殿よりいささか小ぶりである。

相殿

相殿の手挟みと木鼻の彫刻

天狗の彫刻

向拝の彫刻

 本殿と相殿の間には、御霊代(みたましろ)と呼ばれる石がある。

御霊代

 この御霊代の下には、神宝が埋められているそうだ。古くから、この石は決して動かしてはならないと言われてきたらしい。

 御霊代の背後には、古びた奥宮がある。

奥宮

 ところで、布施神社では、豊作を願うお田植祭という祭りが毎年5月5日に行われている。岡山県重要無形民俗文化財である。

 先ず祭儀を行う神田を清め、魔を払うための獅子練りに始まり、荒起こし、代掻き、鍬代、田植えという田植えを象徴する神事が行われる。

 最後に拝殿から殿様と福太郎が現れる。殿様は口上を大声で述べて中央に着座する。

 福太郎は飯を椀に山盛りにして殿様に食べさせようとする。

摂社小櫻神社


 この時、福太郎は殿様に飯を食べさせるため、滑稽なしぐさをする。

 観衆は大笑いをするが、殿様は決して笑ってはいけない。殿様が笑うと、その年は不作になるという。

 往古の祭礼はすこぶる盛んで、参集者を宿泊させるための仮屋が、今の仮屋橋付近に立ち並んだという。

 天文年間(1532~1555年)には、神軍祭で参加者が飲酒の勢いで刃を交え、100人余が死んだという。

 「岡山県の歴史散歩」によれば、布施神社裏山の山頂には、この時の死者を埋葬した千人塚があるという。

 しかしこの裏山がどこか分からなかったので、登頂はしなかった。

布施神社北側の山

 豊作を願う祭事は、日本中あちこちで行われている。

 今は食料はそれほど苦労せずとも手に入る。日本人が餓死することは稀である。

 だが天候に村人の生命が左右された時代には、神様に豊作を祈る祭事は、1年で最も大事な出来事だっただろう。

 過去の人々の苦労を思うと、今こうして生きているだけでも幸福だと思えてくる。