5月14日に美作の史跡巡りを行った。
生憎の雨の中の史跡巡りとなった。
最初に訪れたのは、岡山県苫田郡鏡野町養野にある泉嵓(いずみいわ)神社である。
泉嵓神社は、標高約1209メートルの泉山の麓近くにある。
参道前に駐車場があり、何台か自動車がとまっていたが、神社の参拝客は私1人だった。
車の持ち主たちは、泉山の登山客だろう。
鳥居の手前に巨石があり、その上に石仏が祀られていた。
金剛界大日如来像、青面金剛像と、大日如来と刻まれた石が2つあった。
神社の参道の脇に巨石と石仏があるのは、心落ち着く神仏習合の風景である。
一の鳥居を過ぎて、長い参道を歩いていく。
泉嵓神社は、弘仁十四年(823年)に創建された古社である。
祭神は、山の神様の大山祇(おおやまづみ)命である。
元々は、泉山の神霊を祀る神籬(ひもろぎ)の社だったのだろう。
古くは、上の宮、中の宮、下の宮の三社があり、上の宮は射水(いずみ)山口権現と称していたという。
明治5年に、上の宮、中の宮、下の宮の3社を合わせて現在地に移したという。
遷移の理由は分からぬが、権現を祀っていたということから、江戸時代までは、山岳信仰の修験道の社だったのではないか。
明治の神仏分離令により、仏教的な要素を一掃するために、遷移して祭神も変えられたのではないか。
境内に至ったが、雨が降りしきっていて傘を手放せない。
拝殿に向かって柏手を打ち、手を合わせた。
本殿の奥には、末社が2つある。
この2つのお社に祀られている神様の名は分からぬが、本殿と合わせれば3つのお社になるので、かつての上の宮、中の宮、下の宮の神様をこの3つのお社に祀っているのかも知れない。
境内の奥に小さな祠があった。近寄ってみると「稲荷大神奥宮」と書いてあった。
この奥宮が、境内で一際神威を放っているように感じた。
泉山の神様には元々名前もなく、弘仁以前には社もなかった。それでも地元の人は、泉山を神様として崇拝していたことだろう。
ここ最近、山そのものを神仏とみなす日本の山岳信仰に親しみを覚えるようになった。
この前、休みの日に家の近くの低山の連なりを歩いていると、ある山の山頂に、磐座のような巨石群を見つけて、心に大きな充実感と安心感を覚えた。
その山には神社も祠も存在しないが、さながら自分の守護神が、具体的な「もの」として、そこに存在するという感じを持ったのである。
古代人が信仰の山に抱いた感情も、これに似ているのかも知れない。