今日、美作の史跡巡りを行った。岡山県真庭市南部の史跡を巡った。
最初に訪れたのは、真庭市関にある真言宗の寺院、福聚山清水寺(ふくじゅさんせいすいじ)である。
清水寺は、山上にある伽藍だが、今は寺院まで自動車道が通っているので、楽に参拝することが出来る。
本堂より少し下りたところに仁王門がある。昔徒歩で参拝した人を迎えた山門である。
仁王門の左右に、二体の木造金剛力士像が安置されている。室町時代初期の作と言われており、岡山県指定文化財となっている。
寄木造りの像である。彩色は剥落しているが、かえって時代の経過を現わしていていい。
仁王門を潜ると、石段が続く。
石段を登り切ったところに不動堂がある。
不動堂は、不動明王が祀られ、護摩供養が行われる建物だ。像も建物も新しい。
清水寺は、天平八年(736年)に越智泰澄が開山したと伝えられている。
泰澄は、白山を開いた人物で、奈良時代を代表する修験者である。
岡山県久米郡美咲町の両山寺も泰澄が開いたとされている。泰澄は、天平年間に美作南部の山々を訪れたことがあったのだろうか。
不動堂を過ぎると、本堂に至る石段の下に至る。急な石段を登っていくと、寛文十三年(1673年)に再建された本堂が見えてくる。
本堂には、本尊の十一面観世音像が祀られている。
清水寺は、今まで3回火災に見舞われている。本堂は再建されてから350年経過した。この間、大過がなくてなによりである。
本尊は、厨子の中に大切にしまわれている。拝観は出来ない。
清水寺には、応永十一年(1404年)の銘のある鰐口が保管されているという。岡山県指定文化財である。
本堂にかかる鰐口は、恐らくこれとは別の近年のものだろう。
また正和五年(1316年)の銘がある梵鐘があるという。本堂前の鐘楼にかかる梵鐘には、寛政十一年(1799年)の銘があった。
本堂の横には、弘法大師を祀る大師堂と、薬師瑠璃光如来を祀る薬師堂がある。
弘法大師は、人々の心の中で、今も世の中を見守っている。
薬師瑠璃光如来は、衆生の病を癒してくれる仏様として信仰されている。
薬師如来は、阿弥陀如来と同じく、とてつもなく長い時間を修行して覚者となった報身仏である。
報身仏は、勿論歴史上の実在の人物ではないが、修行と覚醒を象徴する存在である。言うなれば、仏道を志す人が理想として思い描く存在である。
人は菩提を求める気持ちを持った瞬間に、阿弥陀如来や薬師如来に至る道を歩み始めたことになるのである。
阿弥陀如来や薬師如来は、そういう意味で、リアルな存在である。
客殿には、十一面観音坐像と弘法大師像、不動明王像が祀られている。
十一面観世音菩薩坐像は、本堂に祀られている本尊と似せて作られた像だろう。
仏教には、様々な仏様が出てくるが、法(世界の真実)が一つしかないのなら、本当はこんな多数の仏様は要らないはずである。これらの仏様も、人間の心の分別作用が生み出したものだろう。
人も仏も消え去った世界が、本当の仏の世界なのだろう。