人形峠アトムサイエンス館に隣接しているのが、JAXA(宇宙航空開発研究機構)が運営する上齋原スペースガードセンターの展示室である。
人形峠アトムサイエンス館と上齋原スペースガードセンター展示室の裏手は、日本原子力研究開発機構の施設があり、関係者以外立入禁止である。
このエリアの一角に、レーダードームがある。
レーダードームは、人工衛星やロケットの破片などの宇宙のゴミ(スペースデブリ)が、人工衛星やスペースシャトル、宇宙ステーションなどに衝突しないよう観測し、軌道を予測している。
このスペースデブリ監視システムが上齋原スペースガードセンターである。その展示室が、人形峠アトムサイエンス館に隣接しているのである。
スペースデブリは、人類が宇宙に打ち上げた人工物の残渣物である。宇宙開発が進めば進むほど、その数は増える。
スペースデブリが地球の重力と遠心力が釣り合う場所にあると、地球に落ちることも宇宙空間に放出されることもなく、地球上を周回し続けることになる。
その速度は大変なもので、小さなものでも人工衛星などに衝突すると、大きな損害を与える。
現在のスペースデブリの数は、発見されているもので、直径10センチメートル以上のものは約15,000個、1~10センチメートルのものは数十万個、1センチメートル以下のものは数百万個あると言われている。
岡山県には、2つのスペースガードセンターがある。1つが上齋原スペースガードセンターで、もう1つは、岡山県井原市美星町にある美星スペースガードセンターである。
上齋原スペースガードセンターは、レーダーにより高度約1,000キロメートルまでの低高度のスペースデブリを観測しており、美星スペースガードセンターは、光学望遠鏡により、それ以上の高度のスペースデブリを観測している。
上齋原スペースガードセンターのレーダードームは、強力な電波を宇宙に向けて照射し、スペースデブリに当たって反射した微弱な電波を受信することで、スペースデブリの位置、大きさ、軌道を特定する。
人類は、地球上だけでなく、宇宙空間にまでゴミを広げているわけだ。
人類が初めて宇宙に持ち出した人工物は、1957年10月4日にソビエト連邦が打ち上げた人類初の人工衛星、スプートニク1号である。
自国の上空をソ連の人工衛星が周回することにアメリカは衝撃を受けた。これを「スプートニクショック」という。
ソ連に先を越されたアメリカは、宇宙開発に力を入れ、以後米ソ間で開発競争が激化した。
1969年のアポロ有人宇宙船の月面着陸により、人類は初めて地球外の天体に降り立った。アメリカは月面着陸でソ連に先んじることができた。
良くも悪くも、米ソの対立が、宇宙開発の水準を高めたのである。
その後も宇宙開発は進み、今は国際宇宙ステーションが地球の軌道上を周回している。
国際宇宙ステーションには、日本の宇宙実験棟である「きぼう」も接続されている。
「きぼう」は、JAXAが開発した日本初の軌道上の研究施設である。ロボットアームも装着している。
スペースシャトルによって、3回に分けて打ち上げられた。
これからも、人類の宇宙での活動は益々増えていくことだろう。
スペースデブリの脅威から宇宙空間の設備を守るスペースガードセンターの活動は、これから更に重要なものになるだろう。
月並みかも知れないが、宇宙にはロマンがある。
私たちの世代は、子供のころに松本零士のアニメや「機動戦士ガンダム」を観て育った。そのためか、人類が宇宙に向かうのは、人類史の必然であると漠然と思っている。
人類は、これからも宇宙に向かって進んでいくことだろう。
私が生きている間に、人類は月面に有人基地を築き、火星への有人飛行を成功させることが出来るだろうか。