人形仙三十七人墓から南下し、岡山県苫田郡鏡野町上齋原(かみさいばら)の町にやってきた。
ここは、伯耆往来の美作側の最北の宿場町である。元禄時代には、既に宿場町が形成されていたという。ここを過ぎて人形峠を越えれば、伯耆に至る。
上齋原は温泉地であり、集落内には温泉施設もある。
上齋原集落の北側に、ウランガラスの器などを展示する妖精の森ガラス美術館がある。
ここは、日本で唯一の、ウランガラス専門の展示館である。
ウランガラスとは、ほんの少量のウランをガラスに溶かしたものである。上手にウランを溶かすと、紫外線が当たった時に、ウラン原子から綺麗な緑色の蛍光が出る。
なぜこの地にウランガラスの展示館があるかというと、上齋原地区の北方にある人形峠周辺が、日本初のウラン鉱床が発掘された場所だからである。
妖精の森ガラス美術館を見学するとき、スタッフから紫外線が照射されるライトを手渡された。見学しながら展示品に紫外線を照射して、緑色の蛍光が出るのを楽しむことが出来る。
ウランガラスは、紫外線を当てないと、緑色に発光することはない。1つの器で2通りの色彩を楽しむことができる。
本当に妖精の世界に出てきそうな幻想的なガラス製品の数々が展示されている。
世界最古のウランガラスは、イタリア・ナポリ近郊で発掘された、西暦79年に作られたローマ帝国時代のモザイクガラスだと言われている。このモザイクガラスの緑色の部分を分析したところ、約1.25%の酸化ウランを含有していた。
西暦1789年にドイツの化学者クラブロートが、チェコのヨハヒムスタール鉱山で、鉱石の中からウラン元素を発見した。
彼はその直後、ウラン元素をガラスに加えることで、緑色に発光することを発表した。
西暦1800年ころから、ウランはヨーロッパで陶器の釉薬に使われ始め、西暦1830年ころからボヘミアの工房でウランガラスの製造が始まった。
それにしても見とれるような美しさだ。
妖精の森ガラス美術館では、ガラス工芸家のエミール・ガレが制作したウランガラスの花鳥文花器も展示している。
特別展では、現代日本のガラス工芸家の作品も展示してあった。こちらはウランガラスではなかった。
妖精の森ガラス美術館では、ガラス器の製作体験も出来るガラス工房がある。
ここでは、美術館オリジナルのウランガラスの「妖精の森ガラス」の製造も行われている。
ガラス製品は、日常的に使われているものだが、ほんの少しのウランを溶かしたウランガラスは、その美しい光彩で人を非日常の世界に誘ってくれる。
ウランガラスに含まれるウランから出る放射線は、自然界で照射されている放射線と同レベルのものであり、ウランガラス製品を日常生活で使用したからとて、体に害はない。
私もウランガラス製品を一つ身近に置いてみたいものだと思った。