木山神社里宮の社殿は、昭和37年に竣工したものだが、既に国登録有形文化財になっている。
戦後に出来た新しい社殿とは言え、木造の立派な建物であるためだろう。
拝殿前にて、七五三参りに訪れた家族連れが、入れ替わり立ち替わり記念撮影をしていた。
かく言う私も、ある家族連れから、カメラのシャッターを押すのを頼まれた。
自分がシャッターを押した写真が、ある家族の記念になるのなら、喜ばしいことだ。
拝殿の中は、七五三参りの家族連れで一杯で、宮司が神前で祝詞を上げていた。
拝殿の天井からは、奉納された御神燈が沢山下がっている。
この神社の祝詞は、神職が鉦を叩きながら唱えている。お経のような祝詞であった。
拝殿木鼻の獅子は、注連縄が結びつけられた木の棒を口に咥えて横を向いている。
なかなか遊び心のある彫刻だ。
拝殿の後ろに横長の幣殿があり、その後ろに幣殿と廻廊で接続した本殿がある。
木山神社の祭神は、須佐之男命である。神仏習合時代に祀られていた牛頭天王は、須佐之男命と習合されていた。神仏分離後、牛頭天王が分離され、須佐之男命の名が用いられるようになった。
仏教の守護神である牛頭天王は、今も木山山上の木山寺で祀られている。
拝殿は、隣の社務所と渡り廊下で繋がっている。
渡り廊下の蟇股には、干支の彫刻が施されている。
そう言えば、木山神社社殿の前には、道真公の使いである牛の石像があった。
社殿に向かって左側の牛の石像の横には、「山田方谷先生ゆかりの地」という標柱が建っている。
山田方谷は、幕末の備中松山藩の藩政改革を実行した儒者、陽明学者である。
方谷が木山神社を訪れたことがあったのだろうか。
天満宮の向かって右には、善覚稲荷神社がある。
善覚稲荷神社の祭神は、稲の神である稲倉魂神と須佐之男命の子孫の神々八柱である。
昔はお稲荷様の眷属である木山狐75匹への信仰も盛んであったという。
木山神社の里宮は、木山神社、木山寺の表の顔と言ってもいいだろう。
山上の木山神社奥宮と木山寺に向かった。