播磨

鶴林寺 前編

加古川市加古川町北在家にある刀田山鶴林寺は、587年に聖徳太子が秦河勝に命じて開創させた寺院である。 10月19日の「多可町の寺院」の回でも紹介したが、584年に高句麗から渡来した恵便法師は、廃仏派の物部氏の迫害を受け、東播磨の地に逃れ、身を隠した。…

尾上神社

兵庫県加古川市尾上町長田にある尾上(おのえ)神社は、謡曲「高砂」に出てくる相生の松(尾上の松)がある場所である。 今は尾上神社のある場所は加古川市になるが、かつてこの辺りは、「高砂の尾上」と呼ばれ、古歌、謡曲に出てくる名所であった。 尾上神…

天坊山古墳 日岡神社 日岡古墳群

兵庫県加古川市は古墳が多い場所である。今日も古墳の紹介になる。 加古川市上荘町小野にある天坊山の山上には、4世紀後半に築かれた円墳がある。これが天坊山古墳である。 天坊山は、標高163メートルの低山である。登山口も分かりにくい。山の南側の長池に…

西条廃寺

人塚古墳に隣接した北山公園内にあるのが、兵庫県指定史跡の西条廃寺である。 7世紀後半に建設された伽藍の跡である。 現在は、中門跡、塔跡、金堂跡、講堂跡の基壇が再現整備されている。法隆寺の伽藍配置に類似している。 中門跡から廃寺全体を見る 中門…

西条古墳群

兵庫県加古川市西条山手にある西条古墳群と西条廃寺は、お互い隣接している。 西条古墳群には、元々弥生時代後期から古墳時代にかけての古墳が60数基あった。大規模な宅地造成によって、弥生時代の墳丘墓を含む多くの古墳は消滅してしまった。 大化二年(646…

報恩寺 長慶寺山古墳群

兵庫県加古川市平荘町山角にある印南山報恩寺は、真言宗の寺院である。 元明天皇の和銅六年(713年)、証賢上人の開基と伝えられる。 報恩寺山門 寺内には、数多くの石造遺品が残されている。寺勢が隆盛を誇っていた鎌倉時代から室町時代にかけてのものが多…

平荘湖古墳群

湖に沈んだ古墳。詩的な空想をかき立てさせられる言葉だ。 兵庫県加古川市平荘町池尻にある平荘湖は、昭和41年に、東播磨地域の工業地帯に工業用水を安定供給するために建設されたダムによって出来た人造湖である。 平荘湖が出来る前は、一帯には100基を超え…

中道子山城跡

兵庫県加古川市志方町岡にある標高271メートルの城山山上には、赤松円心の四男、赤松氏範が築城した中道子山(なかどうじやま)城跡がある。 赤松氏範は、終始一貫して足利幕府と北朝に与した円心や兄3人と異なり、最後まで南朝方に立って戦った武将である…

加古川市 長楽寺

兵庫県加古川市志方町永室にある大藤山長楽寺は、浄土宗の寺院である。 創建は、和銅六年(713年)。慈心上人が建立したとされる。最初は真言秘密の道場だったというが、和銅六年は空海が生まれる前である。創建時は真言宗の寺院ではなかっただろう。 長楽寺…

米田天神社 泊神社

剣聖宮本武蔵。 その出生地は播磨国だと言われている。出生地とされている高砂市米田町米田にある米田天神社を訪れた。 武蔵の甥で、武蔵の養子となった宮本伊織は、小倉藩の筆頭家老となったが、故郷の氏神である泊神社(現兵庫県加古川市)が荒廃している…

生石神社 覚正寺

兵庫県高砂市阿弥陀町生石にある生石(おうしこ)神社には、九州霧島高千穂峰の天之逆鉾、奥州塩釜神社の塩釜と並ぶ「日本三奇」の一つ、「石の宝殿」がある。 生石神社鳥居 大穴牟遅(おおなむち)命と少毘古名(すくなひこな)命の二柱の神が、国土経営の…

宝瓶山十輪寺

兵庫県高砂市高砂町は、古い町並みが続くレトロな界隈である。 そんな町並みの中にあるのが、高砂町横町の宝瓶山(ほうびょうさん)十輪寺である。 空海が遣唐使として唐に向けて航海中、海上安全を地蔵菩薩に祈願したところ、高砂沖で霊感を受けて無事に所…

高砂の寺院、高砂神社

高砂市伊保3丁目にある膽匐山(せいぶくさん)真浄寺は、浄土真宗の寺院である。 真浄寺 ここには、江戸時代中期の画家・曽我蕭白の描いた障壁画があって、兵庫県指定文化財となっている。 楼門 楼門の龍の彫刻 しかし、楼門の前の柵が閉ざされて、境内に入…

曽根天満宮

兵庫県高砂市曽根町にある曽根天満宮。ここは、菅原道真公ゆかりの神社である。 又、松原八幡神社に優るとも劣らない勇壮な秋季例祭で知られている。例祭は、毎年10月13、14日に行われる。私が訪れた日は、既に祭りが終わった後であった。 曽根天満宮 祭神は…

山伏峠石仏 玉丘古墳群

兵庫県加西市玉野町にある山伏峠には、兵庫県指定文化財の2基の石棺仏がある。 山伏峠石棺仏 道側の1基は、高さ2.25メートル、幅1.24メートル、厚さ0.4メートルの大きな家型石棺に、蓮華座上の阿弥陀坐像を彫刻している。 奥にあるもう1基は、高さ2.1メー…

加西市拾い歩き

兵庫県加西市繁昌町にある乎疑原(おぎはら)神社は、奈良時代の創建とされている。 平安時代の延喜式にも載っていて、加東郡、加西郡35ヶ村の総社として、例祭には朝廷から幣帛が供進されていた。 祭神は、元々は大国主命と少名彦命であったが、近くにある…

周遍寺密蔵院 清慶寺

北条鉄道網引駅のすぐ近くには、周遍寺密蔵院がある。ここは高野山真言宗の寺である。 周遍寺密蔵院 密蔵院の楼門の前の広場に、観音像を中心にして、古い墓石などが集められた一角があった。 墓石群 その墓石群に向かって右側の手前に、古い石棺仏がある。…

鶉野飛行場 北条鉄道網引駅

兵庫県加西市鶉野町にある鶉野飛行場跡は、かつての姫路海軍航空隊の基地の跡である。近くに川西航空機株式会社姫路製作所が併設されていた。 鶉野飛行場跡 かつてはここに、全長1200メートル、幅60メートルの滑走路があった。今は滑走路跡に砂利が敷かれて…

法華山一乗寺 後編 附古法華石仏

三重塔の前から石段の上を見上げると、大悲閣と呼ばれる本堂が見える。 本堂 本堂は、国指定重要文化財である。現在の本堂は、創建されてから四代目で、寛永五年(1628年)に、姫路藩主本多忠政によって建立された。 本多忠政は、姫路城西の丸を築いて、姫路…

法華山一乗寺 前編

兵庫県加西市坂本にある法華山一乗寺は、天台宗の寺院である。 西国三十三所観音霊場の第26番札所として知られる名刹である。 当ブログとしては、姫路城、閑谷学校に続いて、3度目の国宝建造物の訪問である。 法華山一乗寺 元亨二年(1322年)に書かれた「…

多可町八千代区、加美区の寺院

引き続き、兵庫県多可郡多可町八千代区の寺院を訪れる。 楊柳寺の次に訪れたのは、八千代区中野間にある天台宗の寺院、極楽寺である。 極楽寺は、白雉二年(651年)に、法道仙人が開基したと伝えられる。 極楽寺仁王門 極楽寺は、元々は、ここから1キロメー…

柳山楊柳寺

笠形神社を参拝し終わって、「兵庫県の歴史散歩」下巻の西播磨地域の史跡を踏破することが出来た。ブログを始めて4カ月にしてようやくである。今からはしばらくの間、東播磨地域と備前地域の史跡を交互に訪れることになるだろう。 笠形山を下りて、車に乗り…

笠形山

兵庫県神崎郡市川町、同神河町、多可郡多可町の3つの町にまたがる形で聳え立つのが名峰笠形山である。標高は939メートルである。登山道が整備されて、登りやすい山であるため、登山を趣味とする人たちには人気の山である。 今日は、その笠形山にまつわる史…

神河町

兵庫県神崎郡神河町は、平成17年に、神崎町と大河内町が合併して出来た町である。播磨北端の町であり、峠を北に越えれば、そこは但馬である。 今日は、この町の史跡を紹介する。 今の神河町の地域は、江戸時代を通じて、福本藩池田家が支配した。寛文三年(1…

福崎の寺 七種の滝

兵庫県神崎郡福崎町高岡にある應聖寺は、天台宗の寺院である。 境内には、大小約200本の沙羅の木が植えられ、沙羅の寺と呼ばれている。 應聖寺 沙羅の花が咲く6月には、さぞ美しい寺容を見せてくれることだろう。あいにく私が訪れたのは、曼殊沙華の季節だ…

福崎 後編

柳田國男生家から北東に行くと、播磨天台六山の一山、妙徳山神積寺がある。 神積寺は、正暦二年(991年)、慶芳上人により開基された。 仁王門 神積寺は、一条天皇、三条天皇の帰依を受けたと伝えられる。七堂伽藍と52ケ寺を有する大寺院だったが、延慶二年…

福崎 前編

兵庫県神崎郡福崎町の辻川地区には、今も古い町並みが残っている。 その中でも一際広壮な建物は、兵庫県指定文化財の三木家住宅である。 三木家住宅 三木家住宅土間口 玄関 三木家は、秀吉によって倒された英賀城主三木家の末裔とされている。 7月11日の姫…

溝口廃寺跡、恒屋城跡

姫路市香寺町溝口にある円覚寺のすぐ南側に、溝口廃寺跡がある。 この廃寺は、発掘された瓦の文様などから、奈良時代前期の寺の遺跡だと言われている。 溝口廃寺跡 今では、叢の中に、かつての礎石が点々と残っているのみである。 礎石群 特に中心にある礎石…

香寺民俗資料館、日本玩具博物館

姫路市香寺町中仁野(なかにの)にある香寺民俗資料館は、元々姫路市船津町御立にあった酒造業尾田家の建物を昭和46年に移築して開館したものである。 築後約350年経過した建物で、ひょうご住宅100選にも選ばれている。 香寺民俗資料館 館内には、約3万5千…

和辻哲郎生家、八葉寺

姫路市仁豊野(にぶの)にあるJR仁豊野駅の東側に、大正から昭和にかけて活躍した哲学者、倫理学者の和辻哲郎の生家がある。 和辻哲郎生家 和辻哲郎は、「古寺巡礼」「風土」「日本精神史研究」「日本倫理思想史」などの著作で知られる。 私が和辻の著作で最…