神河町

 兵庫県神崎郡神河町は、平成17年に、神崎町と大河内町が合併して出来た町である。播磨北端の町であり、峠を北に越えれば、そこは但馬である。

 今日は、この町の史跡を紹介する。

 今の神河町の地域は、江戸時代を通じて、福本藩池田家が支配した。寛文三年(1663年)の初代藩主池田政直の入封から、明治三年(1870年)の8代目池田徳潤の時代の廃藩置県まで、池田家は神河町福本の地に陣屋を置いて藩庁とした。

 福本藩池田家陣屋跡には、今は大歳神社が建つ。

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大歳神社

 大歳神社の境内は大変広い。

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大歳神社境内

 境内東側に社殿が建つが、かつては境内北側に藩の御屋敷があり、南側に庭園があった。

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福本藩池田家陣屋の図

 御屋敷は、今となっては跡形もないが、池泉回遊式庭園の跡は今も残っている。

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庭園跡

 庭園跡の手前には、元禄時代建立の寂びた鳥居が建っている。福本藩が立藩して間がないころを知る鳥居だろう。

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元禄の鳥居

 鳥居を過ぎて、かつての藩の御屋敷の庭園を眺める。池泉の中央には、かつての蓬莱島がある。今はそこに弁天様が祀られている。また、池上に建てられた東屋もあり、いかにも涼し気だ。

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庭園跡

 池泉の大きさや深さからして、船遊式の池泉であるそうだ。かつての藩主は、ここに船でも浮かべて遊んだのだろうか。

 福本の地から少し北に行った神河町吉富には、春日神社がある。祭神は、藤原家の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。

 春日神社の本殿、拝殿は、兵庫県指定文化財であり、弊殿は、兵庫県登録文化財である。

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春日神

 春日神社の一の鳥居を潜り、二の鳥居に進む。二の鳥居は、鳥居を4本の稚児柱が支える両部鳥居という様式である。

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両部鳥居

 石段を登った先にある拝殿は、現在修復中であった。ネットで調べると、平成29年10月23日未明の台風による強風のため倒壊したらしい。

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石段

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修復中の拝殿

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 よく見ると、古い木材に新材が継ぎ足されて、修復工事が進んでいる。古材を生かしながら新材を入れて建物に新しい命を吹き込む。日本建築のこういうところは好きである。

 弊殿は、屋根の形状と瓦の装飾がとても凝っていて、面白い建物である。

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弊殿

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 瓦には、波がうねり、龍が躍る造形が為されている。

 本殿は、寛保三年(1743年)に建立された。

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本殿

 桁行五間、梁間二間の切妻造りの大規模本殿である。

 私はそれよりも、弊殿横の境内社に、赤松家の家紋と同じ三つ巴紋があるのが気になった。しかし、三つ巴紋は結構ありふれているので、当社が赤松家と何かの所縁があるのかは分からない。

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境内社

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三つ巴紋

 さて、福本藩池田家陣屋跡の南側の台地には、兵庫県指定史跡である福本遺跡がある。

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福本遺跡

 福本遺跡は、昭和27年に、飾磨高校教諭の増田重信氏によって所在が明らかにされ、発掘された遺跡である。

 昭和44~60年までの間の発掘調査により、約13000年前の旧石器時代から、縄文時代弥生時代古墳時代の集落跡などの遺跡が見つかった。奈良時代には、瓦窯が営まれていたことが分かった。
 この地は、播磨と但馬を結ぶ地点であり、市川を見下ろす台地であるため、集落を営むのに丁度良かったのだろうか。

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 今の遺跡には、刈り込まれた草原の中に、1軒の作りかけの茅葺の建物が立つだけである。

 私が福本遺跡に立った時は、日が西に沈みつつあった。

 夕日に照らされながら、石器時代のころから変わらぬものは、この地にふりそそぐ夕日だろうと思った。

 夕日が何度もそそぐ内に、ここにあった集落は消滅し、台地の下には国道が通るようになった。

 今では国道を忙し気に車が走っている。天地の悠久と人の世の移り変わりの早さを思った。