播磨

中尾住吉神社

住吉神社に祀られる住吉大神は、航海の神である。神功皇后は朝鮮征伐の際、軍を率いて、摂津から船で瀬戸内海を通って筑紫まで行き、玄界灘を越えて半島に渡った。 途中、航海の安全を祈って、瀬戸内海沿岸各地に住吉大神を祀った。明石市魚住町中尾にある住…

明石市 威徳院 薬師院

兵庫県明石市二見町西二見にある威徳院は、真言宗の寺院である。 威徳院山門 行基菩薩が開基したと伝えられるが、正確なところは分からない。寺の歴史がはっきりするのは、寛永三年(1626年)に海雲上人が再興してからである。寺には、寛永二年の過去帳が残…

別府鉄道 愛宕塚古墳

兵庫県加古川市別府町にある肥料メーカーの多木化学株式会社は、以前は多木製肥所という名称だった。 多木製肥所は、製造した化学肥料を全国に出荷するため、別府鉄道という鉄道を運用していた。 播磨町郷土資料館には、別府鉄道に関する資料も展示してある…

兵庫県立考古博物館 後編

武器を作ってお互い争いあい、殺しあうのも人間世界の現実である。 戦争の発生は遺憾なもので、ないに越したことはないが、我々が共同体の利益を守るために争いあって勝ち残ってきた者たちの子孫であることもまた歴史の冷厳な現実である。 弥生時代の遺跡か…

兵庫県立考古博物館 前編

大中遺跡公園の中に建つ兵庫県立考古博物館は、兵庫県の遺跡から発掘された考古資料等を展示する博物館である。平成19年に開館した。 考古博物館は、高床式倉庫を模した塔を持つモダンな建物である。 兵庫県立考古博物館 館内は、無料ゾーンと有料ゾーンとに…

大中遺跡

昭和37年6月に、兵庫県加古郡播磨町の播磨中学校の生徒3名によって発見されたのが、播磨町大中にある大中遺跡である。 10年に渡る発掘によって、大中遺跡は、弥生時代後期(3世紀)を中心に栄えた集落遺跡であることが分かった。 3世紀と言えば、邪馬台…

播磨町 蓮花寺 

大塩平八郎の乱が世上を賑わした天保八年(1837年)、現在の兵庫県加古郡播磨町古宮に彦太郎という男子が生まれた。後、アメリカでジョセフ彦と改名した。 日本人として歴史上初めてアメリカの大統領と面会し、日本初の新聞を刊行した人物である。 彦太郎が1…

加東市 ところどころ

播州清水寺の参拝を終え、山下に降りて、県道を南西に進むと、加東市上鴨川に至る。 ここにあるのが、上鴨川住吉神社である。 この神社の入り口には鳥居がない。自然の樹木の間に注連縄をかけ、そこに紙垂の代わりに羊歯を下げている。 神社入り口 このよう…

播州清水寺 後編

播州清水寺は、「今昔物語集」によれば、当初は地蔵信仰の聖地であったらしい。 そのためか、昭和12年になって、大正2年の大火まで常行堂が建っていた場所に地蔵堂が建てられた。現在の地蔵堂は、昭和57年に神戸大学多淵教授の設計により再建されたものであ…

播州清水寺 前編

兵庫県加東市平木にある御嶽山上にある清水寺は、京都の清水寺と区別するために、通称「播州清水寺」と呼ばれている。 西国三十三所巡礼観音霊場の第二十五番札所である。勿論、天台宗の寺院だ。 御嶽山は、標高約500メートルで、現在は麓から自動車道路が山…

若宮八幡宮 秋津薬師堂

三草山から下山して、加東市黒谷にある若宮八幡宮に向かう。八幡宮なので、祭神は第15代応神天皇即ち誉田別命である。 若宮八幡宮鳥居 若宮八幡宮随身門 若宮八幡宮拝殿 若宮八幡宮には、国指定重要文化財の本殿がある。創建年次は明らかではないが、内陣板…

三草山

姫路から京都まで貫通しているのが、国道372号線である。姫路から加西市、加東市を抜けて、丹波篠山に至り、そこから京都府の亀山を通過して京洛に到着する。 高速道路を使わずに、車で播州から京都に行くには、神戸や大阪を通過するルートと、この国道372号…

加東市 朝光寺

兵庫県加東市畑にある朝光寺は、姫路城、閑谷学校、一乗寺、鶴林寺、浄土寺に続いて、私が史跡巡りで訪れた6つ目の国宝建造物である。 加東市の中でも奥まったところにあり、国宝の寺だというのに観光客はほとんどいない。静けさに包まれた寺である。 朝光…

闘龍灘

兵庫県を代表する河川である加古川は、兵庫県丹波市の粟鹿山付近を源流とし、瀬戸内海まで流れている。 兵庫県加東市上滝野の加古川中流域にあるのが、名勝闘龍灘である。 ここは、川底から数メートルほど岩石が隆起していて、その岩石の間を縫って川が流れ…

五峰山光明寺 後編

光明寺の塔頭群を抜けると、仁王門に到達する。 仁王門 仁王門は、元禄六年(1693年)に、山麓に建っていたものを移築再建したものである。 昭和56年に、元の仁王門の部材を利用して、大規模に修復された。仁王門に据え置かれている阿吽一対の仁王尊像も、元…

五峰山光明寺 前編

兵庫県加東市光明寺にある五峰山光明寺は、推古天皇二年(594年)に法道仙人が開基したと伝えられる。現在は、古義真言宗の寺院である。 法道仙人は、実在したかどうかも分からない伝説上の人物だが、東播磨の法道仙人開基と伝わる数多くの寺院は、大抵西暦6…

加東市 持宝院 観音寺

兵庫県加東市社の佐保神社の東側には、かつての門前町の通りの面影を残す商店街がある。 佐保神社からその商店街を北上すると、すぐ左手に見えてくるのが、持宝院(真言宗)である。 持宝院山門 持宝院には、関西建築界の父と言われる、武田五一(たけだごい…

加東市 佐保神社 明治館

広渡廃寺跡歴史公園から北上し、加東市に入る。加東市上田にある大芋(おおくも)神社の明神鳥居は、寛永二年(1625年)の銘がある、凝灰岩製の鳥居である。 鳥居は、大芋神社の東側参道の東端に建っている。 大芋神社鳥居 この鳥居は、江戸時代初期の形態を…

広渡廃寺

浄土寺から北西に2キロメートルほど行った兵庫県小野市広渡町に、広渡廃寺跡歴史公園がある。 広渡廃寺跡歴史公園 ここは平成11年に史跡公園として整備された。 広渡廃寺は、7世紀後半に開基された広渡寺の跡である。昭和48年から昭和50年にかけて発掘され…

極楽山浄土寺 後編

今の浄土寺鐘楼は、寛永九年(1632年)に建立された。 腰袴付鐘楼で、均整の取れた姿をしている。 鐘楼 鐘楼は、加東郡河合郷新部村の粟津七右衛門という者が建立した。浄土寺塔頭歓喜院所蔵の、粟津七右衛門位牌厨子扉裏にそのことが書かれているそうだ。鐘…

極楽山浄土寺 前編

兵庫県小野市浄谷町にある極楽山浄土寺は、東播磨に4つある「国宝の寺」の一つである。現在は真言宗の寺院となっている。 浄土寺と言えば、何といっても国宝浄土堂と快慶作の国宝阿弥陀如来立像及び両脇侍像であるが、それ以外にも見所は多い。 浄土寺伽藍…

好古館 小野市伝統産業会館

兵庫県小野市西本町にある好古館は、小野市の遺跡から発掘された出土品や、歴史資料を展示する歴史博物館である。 昭和11年に建てられた小野小学校の講堂を移築して、平成2年に開館した。 好古館の隣には、小野小学校があるが、学校の前に一柳家陣屋遺跡の…

加西市 東光寺

加西市殿原町の加西市立泉小学校の東隣に、国府寺という天台宗の寺院がある。ここは、白鳳時代の寺院の廃寺跡でもある。殿原廃寺という。 殿原廃寺跡 とは言え、今の国府寺には、白鳳時代に寺院があったことを示すものは何もない。 門から入って左手の庭園の…

北条の五百羅漢

住吉神社、酒見寺から北に歩いて、北条小学校と北条中学校の間の道を抜ける。当日は、小学校のグラウンドで少年野球の試合が行われていた。 学校を過ぎると、右手に天台宗の寺院である羅漢寺が見えてくる。 この寺にあるのが、北条の五百羅漢と呼ばれる石仏…

酒見寺

住吉神社の東隣にあるのが、泉生山酒見寺である。 酒見寺は、天平十七年(745年)に行基菩薩が建立したと伝えられている。現在は真言宗の寺院である。 酒見寺は、天正年間(1573~1592年)に戦火で焼失したが、江戸時代初期の寛永十九年(1642年)に再建され…

加西市 住吉神社

兵庫県加西市北条町古坂にある加西市埋蔵文化財整理室の駐輪場横に、阿弥陀三尊の種子を刻んだ鎮岩(とこなべ)板碑がある。兵庫県指定文化財となっている。 鎮岩板碑 元々は、加西市鎮岩町の大日堂の境内にあったが、加西市が保存のため、この場所に移転し…

高御位山

高砂市と加古川市の境目に聳える高御位(たかみくら)山は、標高304メートル、別名「播磨富士」と呼ばれている。 11月14日の「生石神社 覚正寺」の記事で書いたように、生石神社の御神体である「石の宝殿」の削り屑が、高御位山の山頂に捨てられたという伝承…

教信寺 古大内遺跡

古代には、日本各地に駅(うまや)という馬を常備した拠点があった。 当時の最速の連絡手段は馬であった。都から地方に何かを連絡するときは、使者は駅にある馬を乗り継いで連絡先へ向かった。 駅には、宿泊施設があって、外国の公使が宿泊したり、旅人が宿…

鶴林寺 後編

境内に、法華一石一字塔というものがある。明和八年(1771年)に建立されたもので、法華経の文字を一つの石に一字づつ書いて千部納め、読誦して回向し、三界万霊の菩提を弔ったものである。 法華一石一字塔 塔の背後には、近年設置されたと思われる「ふりき…

鶴林寺 中編

本堂の西側にある常行堂は、僧侶が阿弥陀仏の周囲を歩きながら念仏をひたすら唱える常行三昧という修行をするための建物である。国指定重要文化財である。 常行堂 常行堂は、格式の高い天台寺院にしかない建物である。 常行堂の建築は、国宝太子堂と同時期の…