楊柳寺

 笠形神社を参拝し終わって、「兵庫県の歴史散歩」下巻の西播磨地域の史跡を踏破することが出来た。ブログを始めて4カ月にしてようやくである。今からはしばらくの間、東播磨地域と備前地域の史跡を交互に訪れることになるだろう。

 笠形山を下りて、車に乗り、県道34号線を東に走る。トンネルを越えると、兵庫県多可郡多可町八千代区である。

 今の多可町は、平成17年に多可郡中町、加美町、八千代町の3町が合併して出来た町である。今は旧町域は「区」の名称で呼ばれている。

 今日は八千代区の寺院、楊柳寺を紹介する。最初に訪れたのは、毘沙門堂である。

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毘沙門堂

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 毘沙門堂は、古くは西光寺毘沙門堂と呼ばれていた。今は天台宗の寺院である柳山楊柳寺の塔頭法持院に所属している。江戸時代初期に火災に遭い、元禄十四年(1701年)に再建された。

 鎌倉時代には、既に毘沙門天が祀られていたという。

 所蔵する絹本着色般若十六善神画像は、南北朝時代の作と伝わる。描線や彩色が巧緻で、兵庫県指定文化財となっている。

 毘沙門堂から南下し、八千代区大和の楊柳寺に行く。楊柳寺には、白雉年間(650~654年)に、法道仙人が、千手観音のお告げにより、山麓の柳の大木に自ら観世音菩薩を刻み、それをご本尊として安置して、伽藍を建立したという縁起が残されている。

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山門

 現在本堂には楊柳観世音菩薩立像がご本尊として安置されているが、平安時代前期の作と見られ、法道仙人が自ら彫ったものとは違うらしい。

 ところで、今後東播磨の寺院を巡る上で、しばしば目にすることになるであろう法道仙人について書いておきたい。

 法道仙人は、伝説上の人物である。インドの仙人で、7世紀半ばに紫雲に乗って播磨国法華山に降り立ったという。空鉢を飛ばして供料を受ける飛鉢の法を使うなど、奇行に富み、各地に寺院を建立したと伝えられる。

 東播磨には、法道仙人を開基とする寺院が77寺ある。法道仙人を開基とする寺は、兵庫県外にはほとんど見られない。

 そのほとんどが山岳寺院で、本尊には観音、毘沙門天が多く、観音信仰の拡大と法道伝説の拡大には関連があるものと見られている。

 さて、楊柳寺山門は、国登録有形文化財である。山門を潜ると石段があり、急な傾斜を登ることになる。

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山門

 楊柳寺は、天正三年(1575年)に、兵火により全山焼失したが、隆慶和尚により再興され、徳川家光から朱印地10石、山林8町を下付された。

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阿弥陀堂

 本堂には、ご本尊の楊柳観世音菩薩立像の他に、木造十一面観音立像が三体あり、いずれも兵庫県指定重要文化財である。

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本堂

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 本堂は、国登録有形文化財である。本堂の内陣を覗くが、厨子が閉ざされていて仏像の拝観は叶わなかった。

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本堂内部

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内陣

 本堂の前に善光寺如来という石仏があり、こちらの方は雰囲気が良かった。

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善光寺如来

 本堂の裏から、奥の院に至る山道に通じている。奥の院と言っても、本堂から約300メートル歩いたところにある。

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奥の院

 奥の院には、兵庫県指定重要文化財の木造千手観音立像、木造兜跋毘沙門天立像、木造毘沙門天立像があるが、拝観は出来ない。

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奥の院

 東播磨は、山岳や丘陵が豊富にある地域である。はるか昔、天竺から渡ってきた法道仙人が、この辺りの山を渡り歩いて、あちこちに観音や毘沙門天を祀り、寺院を建立していったのは何故だろうと考えてみた。答えは見つからない。

 今後東播磨の史跡巡りを続けるうちに答えが見つかるだろうか。それは分からないが、何かテーマを見つけて跋渉するのも、史跡巡りの醍醐味である。