福崎の寺 七種の滝

 兵庫県神崎郡福崎町高岡にある應聖寺は、天台宗の寺院である。

 境内には、大小約200本の沙羅の木が植えられ、沙羅の寺と呼ばれている。

f:id:sogensyooku:20191001201018j:plain

應聖寺

 沙羅の花が咲く6月には、さぞ美しい寺容を見せてくれることだろう。あいにく私が訪れたのは、曼殊沙華の季節だった。境内のそこかしこに曼殊沙華が咲いていた。

f:id:sogensyooku:20191001201316j:plain

曼殊沙華

 應聖寺は、白雉年間(650~686年)に印度から来た高僧、法道仙人によって開かれたと伝えられる。

 應聖寺は代々播磨国守護職の祈願所として発展し、文永二年(1265年)には、祐運大徳によって中興される。
 さらに、南北朝時代の正平六年(1351年)、播磨守護職赤松則祐の祈願所となり、七堂伽藍を整え再興された。
 江戸期には、姫路城主酒井公との関係が深かったようで、酒井家二代藩主宗雅公ゆかりの人物、松平不昧公(茶道師匠)、酒井抱一公(実弟)、河合寸翁(家老)の遺品などが伝わっているそうだ。 

 境内には、涅槃の庭に、先代の住職が造った涅槃仏像が置かれている。

f:id:sogensyooku:20191001202304j:plain

仏涅槃像

 この涅槃像は、サツキを衣として着ており、サツキの花が咲く季節には、身に花衣を纏うことになる。

 應聖寺には、兵庫県指定文化財である應聖寺庭園がある。本堂と書院の裏手に連なる庭園は、18世紀初めの築造で、江戸初期の石組をとどめ、池泉観賞式の名園として名高い。

 拝観料は500円だが、お抹茶と和菓子がついてくる。残念ながら当日は、本堂の座敷が法要で使用されていて、お庭の拝観は叶わなかった。

f:id:sogensyooku:20191001202923j:plain

本堂

 應聖寺本堂は、明治元年落慶、大正十三年改築のもので、まだ新しい建物だ。

 福崎町田口に行くと、真言宗の古刹、七種山(なぐささん)金剛城寺がある。

f:id:sogensyooku:20191001203634j:plain

金剛城寺

 金剛城寺は、元々は今建つ地より北方にある、七種山の中腹にあった。

 推古天皇の御宇、聖徳太子が七種山に来て、霊厳の地であると感じ、高句麗から来た恵灌法師に寺を建てさせ、国家安泰、庶民福利の祈願所としたのが、その始まりであるという。

 恵灌法師は、日本三論宗の開祖となった人で、金剛城寺の堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招き開山式を催した。

 その後、弘法大師が来山し、護摩秘法を伝えてより、金剛城寺は、真言宗の宗旨を奉ずるようになり、現在に至っている。

f:id:sogensyooku:20191001204207j:plain

金剛城寺山門

f:id:sogensyooku:20191001204342j:plain

 金剛城寺は、明治初めに七種山から現在地に移転した。なので、建物は全て明治以後の建築である。

 金剛城寺は、歴史上何度も火災で焼失したが、幸いにご本尊の十一面観世音菩薩像は焼失を免れ、現在も本堂に安置されている。

f:id:sogensyooku:20191001204616j:plain

本堂

f:id:sogensyooku:20191001204928j:plain

本堂の彫刻

 本堂内部に入るが、内陣の中の厨子は閉ざされていて、ご本尊を拝観することは出来なかった。

f:id:sogensyooku:20191001204843j:plain

内陣

 内陣に置かれていた密教法具の五鈷杵を撫でてみた。

f:id:sogensyooku:20191001205051j:plain

五鈷杵

 境内にあるものの中で、明治以前のものは、福崎町指定文化財になっている石造地蔵菩薩像である。

f:id:sogensyooku:20191001205235j:plain

石造地蔵菩薩

 応永六年(1399年)の銘のある、福崎町内では最古の在銘石仏である。

 医療がそれほど発達していなかった中世の人間の命は、現代と比べれば極めてもろいものだっただろう。そんな時代に、人々はすがる思いでこういった石仏を彫ったことだろう。

 金剛城寺から北上すると七種山がある。山頂には、弘法大師が修行したと伝えられる「つなぎ岩」と呼ばれる巨岩がある。

f:id:sogensyooku:20191001205910j:plain

七種山

 山の中腹には、兵庫県の名勝である七種の滝がある。中腹までは、車1台がようやく通れる道が通っている。道の突き当りで車を降りて、歩き始めてすぐに鳥居があり、信仰の山の霊域に入ることを実感する。

 七種の滝は、落差約72メートルの滝である。ただし、普段は水量が少なく、豪快に水がたぎり落ちる滝を期待するとがっかりすることになる。

 私が訪れた時も、水量は少なく、ただただ高い岩壁が目の前に聳えるだけであった。

f:id:sogensyooku:20191001210514j:plain

七種の滝

 しかしこの段々となった岩壁を、豊富な水が滾り落ちる時に訪れたら、さぞかし感銘を受けたことだろう。

 弘法大師空海が修行したと伝わる伝承地は日本中にあって、本当に空海が来たかは定かでない場所が大半である。

 しかし、この山域と滝の醸し出す空気は縹渺としていて、かつて錫杖を突いた弘法大師が訪れてこの滝を見上げたと想像すると、如何にもそれらしい気がする。

 空海は著作「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」で「五大に皆響きあり」という教えを書いた。

 五大とは地水火風空のことで、宇宙の現象を指す。宇宙が音を発しているという意味だろうが、ここでいう音とは、人間の聴覚が捉える音だけを指すのではないだろう。

 真言密教では宇宙全体が大日如来の顕現であると説いている。つまり、自然界の発する音は、これすべて大日如来の唱える真言であり、説法であるという教えだ。

 七種の滝の水の音を聞きながら、これもまたありがたい説法であると思うと、すぐそばに弘法大師がいらっしゃる気分になった。