姫路市香寺町中仁野(なかにの)にある香寺民俗資料館は、元々姫路市船津町御立にあった酒造業尾田家の建物を昭和46年に移築して開館したものである。
築後約350年経過した建物で、ひょうご住宅100選にも選ばれている。
館内には、約3万5千点の民具が所せましと展示されている。
展示されているのは、江戸時代から昭和期の民具である。私が子供のころにはもう使われていなかったものばかりで、私がノスタルジーを感じることはなかった。
例えば薬研などは、乾燥した薬草などを砕いて漢方薬を作る道具だが、まだ漢方医が主流だった明治時代には、よく使われていたことだろう。
そうして出来た薬草を入れておく薬棚も展示してあった。
昭和46年の開館当時に訪れた年配の人は、これらの民具を見て、「懐かしい」と感想を漏らしたのだろうか。
氷の冷蔵庫は、明治41年(1908年)から販売されたもので、昭和初期まで使われていたそうだ。上の棚に氷を入れて、下の棚に入れた食材を冷やした。氷屋がリヤカーに氷を積んで家の前までやってきて、鋸で氷を切って売ったらしい。
香寺民俗資料館は、広壮な邸宅である。奥の座敷に行くと、文机の上に明治大正時代の教科書が置いてあった。資料館には、近隣の小学校生徒が社会科の授業の一環で見学に来るそうだ。
その他、民具が多数あって、とても紹介しきれないが、昔の人は様々な工夫をした道具を使っていたことがよく分かる。
香寺民俗資料館から少し東に行くと、日本玩具博物館がある。
日本玩具博物館は、白壁土蔵造りの建物等6棟からなる。1号館から6号館まである、私設博物館である。
1号館の入口を入る。ここは企画展示室である。
当日は、昭和後半から平成のおもちゃが展示されていた。
私は、1980年代に子供時代を過ごしたが、私の世代にどんぴしゃなおもちゃを懐かしく眺めた。私と同世代の人なら、見るだけでノスタルジーを感じるだろう。
女性には申し訳ないが、当時の男子が遊んだおもちゃばかり写真に撮った。
博物館には、子連れの家族が多数来館していた。
それにしても、大人になって過去に遊んだおもちゃを眺めると、どうしてこう寂しい気持ちになるのだろう。不思議なものである。
2号館には、私の世代より前の世代のおもちゃが展示されている。ブリキのおもちゃである。
1950年代のアメ車だろう。今のミニカーよりも味がある。
面白かったのは、メンコの推移である。
明治大正のころのメンコは、軍人や歴史上の武将などの英雄が描かれている。昭和初期になると、乗り物や俳優になる。戦後は鉄人28号やエイトマンなどの架空のキャラクターが描かれた。時代時代で子供達のヒーロー像が変遷していったのが分かる。
3号館に行くと、伝統手芸のちりめん細工が展示されている。
裕福な家庭の女子が、余った縮緬の切れなどを縫い合わせて作ったものである。江戸文化の薫りを伝えている。
4号館には、1階に日本各地の郷土玩具が、2階に世界の玩具が展示している。人種や宗教が違えど、基本的にどの地域の玩具にも似たところがある。ただ、日本人にまだ馴染みが薄い文化圏であるアフリカや中南米の玩具は、部屋のインテリアに使ってもいいのではないかと思うデザインである。
5号館は、ランプの家と呼ばれる、ランプを吊るした古民家である。ランプの灯りは、どことなく優しく懐かしい。
電気の灯りより、油を使ったランプの灯りの方が、どことなく癒される。
しかし、ランプの時代の夜は、家の中は暗かっただろう。それでも江戸時代の行灯などよりは遥かに安全で明るかっただろうが。
谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」で書いたように、暗さから生まれる文化もある。蝋燭や油に浸した紙縒りの灯りに照らされた和室から生まれる文化と、LED電灯に照らされた洋室から生まれる文化は自づと異なるだろう。
6号館は、世界のままごと道具が展示してあったが、男子の私には興味が持てず、写真は撮らなかった。
民具にしろ、玩具にしろ、人間は生活を便利にし、生活に彩りを添えるために様々な工夫をする。その工夫の跡が何か物悲しい。
生きることは、面白いと同時につらいことでもある。そのつらさを少しでも和らげようとする人々のいじらしさが、そう思わせるのだろう。