兵庫県加東市畑にある朝光寺は、姫路城、閑谷学校、一乗寺、鶴林寺、浄土寺に続いて、私が史跡巡りで訪れた6つ目の国宝建造物である。
加東市の中でも奥まったところにあり、国宝の寺だというのに観光客はほとんどいない。静けさに包まれた寺である。
朝光寺は、白雉二年(651年)に法道仙人が開基したと伝えられる。当初は、裏の権現山に建っていたが、文治五年(1189年)に現在地に移転したという。現在は真言宗の寺院である。
朝光寺の山門は、建立年代は不詳なるも、江戸初期から中期の様式と言われている。
山門を潜ると、目に飛び込んでくるのが、国宝朝光寺本堂である。
写真では、なかなかこの本堂のスケール感は伝わらない。方七間、単層寄棟造り、本瓦葺きの堂々たる建物である。
本堂内陣の宮殿裏から、墨書のある羽目板が見つかっている。そこには、応永二十年(1413年)に仏壇を建立し、屋根葺きが正長元年(1428年)に終わったことが書かれていた。
建築様式も、室町時代初期の和様と唐様の折衷様式であるという。
私が朝光寺を訪れるのは、実は三度目だが、今回は珍しく本堂の扉が開いていた。中に入ってみた。
本堂内は、格子戸と菱格子欄間によって、内陣と外陣とに分けられている。
姫路市の兵庫県立歴史博物館には、朝光寺本堂内部の断面模型が展示してあった。
内陣の中の宮殿には、ご本尊である二体の木造千手観音立像が納められている。その内、西のご本尊は、建長六年(1254年)ころの作で、左足に京都の蓮華王院(三十三間堂)の一千一体千手観音立像のうちの23体と同じ銘が刻まれていることが分かっている。
東側のご本尊は、製作年代は不明だが、様式や縁起から、朝光寺創建時のもので、西のご本尊より古いものと見られている。
この宮殿の中に、ありがたいご本尊が祀られている。約600年の時を経た宮殿である。
本堂の東側には、兵庫県指定重要有形文化財の多宝塔がある。私が史跡巡りで訪れた、4つ目の多宝塔である。
程よく寂びた、味のある塔である。文治年間に現在地に建立され、慶長六年(1601年)に池田輝政の発願により再建された。
多宝塔の前には、加東市指定文化財となっている石造五輪塔や、六角石幢があった。
多宝塔の北側には、国指定重要文化財の鐘楼がある。
銅板葺袴腰付きの優美な鐘楼である。屋根の優美な曲線に、鎌倉時代後期の特徴がよく表れているという。寺記によると、永正年間(1504~1521年)に赤松義村が再建したという。
朝光寺には、その他に、永仁三年(1295年)の銘のある、青銅製の鰐口がある。在銘の鰐口としては、兵庫県最古のものである。また、永仁六年(1298年)製作の太鼓がある。両方兵庫県指定重要文化財である。
朝光寺では、毎年5月5日に、五穀豊穣・無病息災を祈って、内陣で大般若経を唱え、本堂前の舞台で鬼たちが踊る鬼追踊が行われている。兵庫県無形文化財となっている。
朝光寺は、ツクバネの原生林に周囲を囲まれている。山門から石段を下りると、つくばねの滝がある。
ツクバネは、果実の形が羽子板で突く羽根に似ているので、突羽根(つくばね)と名付けられた。播磨地方では自生するのは珍しく、加東市の天然記念物となっている。
つくばねの滝は、鹿野川にかかる滝である。
シャッター速度を上げて、飛沫を上げる滝の姿を切り取った。寸時も留まることを知らない滝の姿は、諸行無常の仏教の象徴と言ってもいい。
知らず知らず、清冽な滝の姿に、白雉年間から朝光寺で唱えられ、説かれ続けてきたみ仏の教えを重ね合わせていた。