明石市 威徳院 薬師院

 兵庫県明石市二見町西二見にある威徳院は、真言宗の寺院である。

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威徳院山門

 行基菩薩が開基したと伝えられるが、正確なところは分からない。寺の歴史がはっきりするのは、寛永三年(1626年)に海雲上人が再興してからである。寺には、寛永二年の過去帳が残されている。

 威徳院のご本尊は大日如来像だが、「帆下げ観音」と呼ばれる観音様も祀られている。

 沖を行く船が、威徳院の観音様に敬意を払って帆を下げたという逸話が残っている。

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威徳院玄関

 威徳院の寺域は広くはない。本堂と思える建物も見当たらない。近くの海の波の音が聞こえてきそうなほど静かな寺院である。

 境内に老梅が咲いていた。気づけば春が近づいているのだ。

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境内の老梅

 山門の前に、古い石幢があった。いつの時代のものか分からないが、風化が進んでいる。

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古びた石幢

 ひょっとしたら、寛永三年の再建前からあったものかも分からない。ここで石幢に会ったのも、老梅に会ったのも、何かの縁であると感じる。

 ここから東に進んだ明石市魚住町西岡にあるのが、ボタン寺と呼ばれる薬師院である。ここも真言宗の寺院である。

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薬師院

 薬師院は、牡丹の花が咲くころには、参拝客でごった返す。山門の前の石橋が、古くて素敵だと思ったが、元禄八年(1695年)に架けられたものであった。

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石橋

 本堂は、明暦三年(1657年)に建てられたものである。中興開山舜恵及び舜雄法印が再建したものである。

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本堂

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 向拝や手挟み、木鼻の彫刻が、なかなか立派である。

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向拝の龍の彫刻

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手挟みの彫刻

 彫り跡が鋭い彫刻である。

 ご本尊は、薬師如来像で、脇立が日光菩薩月光菩薩十二神将である。

 薬師院は、江戸中期の絵師である石田幽汀の菩提寺である。幽汀は、地元の西岡出身である。

 幽汀は、京都の石田家の養子となって絵画を学び、禁裏(宮中)の御用絵師となる。幽汀の弟子には、あの円山応挙がいる。

 薬師院には、石田幽汀が描いた襖絵が奉納されている。

 薬師院は、天喜五年(1057年)に植えられた「臥竜の松」で有名であった。松は昭和20年に枯れてしまった。今では、石庭の奥に枯れ株が残るのみである。

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臥竜の松の枯れ株

 薬師院は、応仁二年(1468年)に一度燃えてしまったようだが、その時の住僧が焼けた経典の灰を境内に埋めた。その場所に建てられた経塚が残っている。

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経塚

 経塚の隣の五輪塔は、室町時代末期のものである。

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五輪塔

 三木合戦で亡くなった武士たちの供養塔とも言われている。

 冬の間史跡巡りを続けてきて、最近になって寺社の境内に花が咲くのをようやく見るようになった。

 少しづつ日差しが長く、柔らかく、暖かくなり、蕾が膨らみ始め、花が咲き始める。そうすると春が来たと感じる。播州の沿岸部は雪がほとんど降らないが、雪国ならば、もっと春の到来は嬉しいものだろう。

 春の到来は、人間をうきうきさせる。古くから繰り返されてきた感懐であろう。