加東市 佐保神社 明治館

 広渡廃寺跡歴史公園から北上し、加東市に入る。加東市上田にある大芋(おおくも)神社の明神鳥居は、寛永二年(1625年)の銘がある、凝灰岩製の鳥居である。

 鳥居は、大芋神社の東側参道の東端に建っている。

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大芋神社鳥居

 この鳥居は、江戸時代初期の形態をよく留める貴重なものとして、兵庫県指定文化財となっている。

 この時代の鳥居は、柱が太くて短く、武骨な姿をしている。そこがいいと思う。

 ここから更に北上し、加古川を渡った加東市河高にある住吉神社の鳥居も古いものである。

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住吉神社鳥居

 こちらは、大芋神社鳥居より更に古い。銘は残っていないが、建築様式から室町時代のものと言われている。この鳥居も、凝灰岩製である。

 惜しむらくは、扁額と沓石が後世に補修されたものであることである。確かに足元は新しく、違和感がある。

 住吉神社から、加東市の中心である加東市社の佐保神社に行く。

 加東市は、平成18年3月に、加東郡社町滝野町東条町が合併して出来た市である。

 旧社町には、北播磨県民局や加東警察署、加東市役所があり、地域の中心となっている。

 私は兵庫県に長年住んでいるが、佐保神社の存在を知らず、社町がなぜ社町という名称なのかも知らなかった。

 今回佐保神社に参拝して、ここが北播磨を代表する立派な神社で、旧社町の名称は、その門前町として発展した佐保社(さほやしろ)村からきているのだと分かった。

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佐保神社瑞神門

 佐保神社は、第11代垂仁天皇二十三年の創建と伝えられる。今の加西市の鎌倉峰に佐保明神が天降り、鎮座したという。

 佐保神社は、養老六年(722年)に、この地に遷座した。当初は坂合神社と呼ばれていたが、いつのころからか佐保神社と呼ばれるようになったという。

 今の加西市周辺から加東市周辺に移住して土地を切り開いた人々が、氏神遷座させたのであろうと思われる。

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佐保神社拝殿

 佐保神社は、鎌倉時代には、朝廷や幕府の崇敬を集めて隆昌を誇った。尼将軍北条政子は、八丁四方に内の鳥居、一里四方に外の鳥居を造営させた。

 室町期には、度々の争乱で荒廃したが、江戸時代に入ると、姫路藩池田輝政の祈願所として社領10石を寄せられた。

 現在の本殿は、延享四年(1747年)に再建されたものである。

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佐保神社社殿

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佐保神社本殿

 本殿には、東殿(向かって右)に天照大神、中殿に天児屋根命、西殿(向かって左)に大己貴命が祀られている。

 本殿のところどころに見事な彫刻がある。

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脇障子の彫刻

 佐保神社は、武家が崇敬したことを偲ばせる、雄勁な神社である。

 佐保神社から南に200メートルほど歩くと、旧加東郡公会堂であった明治館がある。

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明治館石門

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明治館薬医門

 明治館は、加東郡公会堂として、明治44年に着工し、大正元年に完成した、近代の和風建築である。

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明治館説明石

 加東郡公会堂は、一時は老朽化していたが、社町は、地域の誇りである明治大正期の建造物を修復工事した。

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明治館

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 内部見学は出来なかったが、玄関扉のガラスから中を覗き見ると、広大で高い天井を持ったホールのような部屋が見えた。地域の様々な催しが、この建物で行われたのであろう。

 史跡巡りで、近代の和風建築を紹介したのは初めてである。神社建築や寺院建築と異なって、どこか西洋の影響を感じさせる和風建築である。

 加東市社は、奈良時代に建立された佐保神社の門前町である。奈良時代から続く町というのも、思えば歴史遺産と言える。