兵庫県加東市平木にある御嶽山上にある清水寺は、京都の清水寺と区別するために、通称「播州清水寺」と呼ばれている。
西国三十三所巡礼観音霊場の第二十五番札所である。勿論、天台宗の寺院だ。
御嶽山は、標高約500メートルで、現在は麓から自動車道路が山上の駐車場まで続いている。
ヘアピンカーブが連続する道で、スイフトスポーツも水を得た魚のように走った。
山上の駐車場に車を停めて、車を降りると、まず目に飛び込んでくるのは、仁王門である。
清水寺は、寺伝によれば、第12代景行天皇の御代に法道仙人が開基したという。景行天皇は、実在したとすれば、「謎の4世紀」の人物である。各地に残る法道仙人の伝承からすれば、法道仙人は7世紀の人物であり、景行天皇の世は時代が合わない。そもそも、景行天皇の時代には、日本にはまだ仏教は伝来していない。
仁王門は、元々旧参道の頂上にあったが、昭和40年代の強風で倒壊した。昭和55年に現在地に新築された。神戸大学多淵敏樹教授の設計である。
仁王門に祀られている金剛力士像は、大正10年に、奈良の仏師菅原大三郎が製作した。
最初に断っておくが、播州清水寺には、古い建物は残っていない。大正2年(1913年)の火災で全山焼失したからである。現在建っている伽藍は、全て大正以降に再建されたものである。
しかし、当代第一級の建築家の設計によって建てられているので、数百年後には、それぞれの建物が、国宝・重要文化財になっていくものと思われる。
仁王門を潜り、境内に入って歩くと、右手に石垣が見えてくる。以前ここに僧侶が住む施設があったのではないかと思われる。
江戸時代中期の石垣と言われている。再建された建物が多い清水寺の中で、歴史を感じさせる場所である。
そこを過ぎて、先ず目に入るのは、薬師堂である。
薬師堂は、平安時代末期に、平清盛の義母「池の禅尼」が建立したと伝えられる。今の建物は、昭和59年に檜材を用いて再建された。
薬師堂の中には、平成13年に東京芸術大学の薮内佐斗司教授が製作した十二神将が安置されている。
薮内教授は、奈良のマスコットキャラ「せんとくん」の作者でもある。
なかなかユーモラスな味わいの像だ。ご本尊木造薬師如来坐像も、最近のものだろう。
薬師堂を過ぎると、目の前に国登録有形文化財の大講堂が現れる。
大講堂は、聖武天皇の勅願所で、神亀二年(725年)に創建された。ご本尊は、十一面千手観世音菩薩である。西国二十五番の札所で、納経所や御守授与所は堂内にある。
大講堂は、大正六年(1917年)に、京都大学の武田五一博士の設計で、山上の杉材を用いて再建された。
大講堂の内部は広々としており、格天井や、欄間の意匠などが豪放である。
内陣は撮影することが禁止されていた。
大講堂の西側には、国登録有形文化財の本坊と客殿がある。両方大講堂と同じく、武田五一博士の設計で、大正6年に再建された。
本坊は、清水寺の庫裏で、寺務所はこの中にある。予約をすれば、昼食をここで摂ることが出来る。
播州清水寺は、西国三十三所巡礼観音霊場というだけあって、観光客も多かった。建物は新しいが、全て木材で再建されており、いずれ貴重な文化財となっていくと思われる。
清水寺には、焼失を免れた大字法華経巻第五や、坂上田村麻呂が所持していたと伝えられる大刀など、2つの国指定重要文化財がある。
また、昭和5年に境内から発見された白鳳時代の銅像菩薩立像、平安時代から近世に至るまでの清水寺文書は、兵庫県指定重要有形文化財となっている。
文化財が焼失しても、現代の技術の粋を集めて再建すれば、後世に必ず評価される。播州清水寺を再建した大正時代の人々の熱意は立派であると思う。