武器を作ってお互い争いあい、殺しあうのも人間世界の現実である。
戦争の発生は遺憾なもので、ないに越したことはないが、我々が共同体の利益を守るために争いあって勝ち残ってきた者たちの子孫であることもまた歴史の冷厳な現実である。
弥生時代の遺跡から発掘された人骨には、武器で受けた損傷が残っていたりする。「魏志倭人伝」に書かれている「倭国大乱」は、2世紀の出来事だが、そのころには日本国内で大規模な争乱が起こっていたのだろう。
考古博物館の展示も、古墳時代に入ってからは武器に関するものが増えてくる。
前回紹介したように、食糧生産を増大させるために道具を工夫して作るのも人間なら、効率よく敵兵を殺傷し、味方の損害を減らすために武器や防具を工夫して作るのも人間である。
この木の楯は、割れないように紐やツルで補強されている。時代が進むと、丈夫な革で補強された楯も登場する。
この革の楯は、兵庫県朝来市の古墳時代中期の茶すり山古墳から出土したものの複製品である。表面を黒漆で塗ってある。
鉄器の登場は、農業生産の飛躍的増大をもたらしたが、一方で武器の殺傷能力を格段に上げた。現代で言えば、AIが人間に恵みと脅威を与えようとしていることと似ている。
鏃の展示物を見れば、時代とともに鏃の破壊力が増しているのが分かる。武器の威力が増せば、防具も進化する。古墳時代には、立派な鉄製の鎧が造られた。
この鎧は、兵庫県加西市の古墳時代中期の亀山古墳から発掘された横矧板鋲留短甲の復元品である。
剣も鉄製となった。後の日本刀と比べれば、切れ味はいまいちだったろう。
こうして武器を使って争うことによって何が起きたか。武力の強い集団が、弱い集団を傘下に収めるようになる。
こうして集団が徐々に大きくなっていく。集団が大きくなれば、集団の統制を取るのが難しくなる。ここに、制度とルールを作って集団を統治する国家が出現する。
小集団より大きな集団の方が、いざという時の動員力が違う。制度とルール(法律)に人々を従わせるには、武力が必要である。残念ながら現在でも、社会の秩序を維持するには、武力の裏付けのある強制力を持つ警察が必要である。母体が大きい集団の方が、ルールを守らせる力も大きいだろう。
そして、制度とルールを守る集団の方が、無法状態に生きる集団よりも生存する確率が高い。
人間が集まれば警察機能と訴訟機能を持つ国家を作ろうとする。これもまた、人間の生存本能のなせる業だろう。
倭国大乱を経て、3世紀には、邪馬台国を中心とする首長連合が出来たようだ。ちなみに私は、邪馬台国をヤマト国と呼ぶ。実際江戸時代中期までは、邪馬台はヤマトと発音されていた。邪馬台国をヤマト国と呼べば、日本の混沌とした古代史像もよほどすっきりする。
考古博物館は、邪馬台国は大和にあったという立場である。姫路市の長越遺跡からは、ヤマト、丹波、山陰、吉備、四国の土器が発掘されている。各地から人や物が集まる拠点があったのではないか。邪馬台国の出先の拠点が長越遺跡にあったと思われる。
さらに3世紀になると、大和盆地で前方後円墳が発生し、次第にそれが全国に広がっていく。
また、中国製の鏡が古墳から発掘されるようになる。
「魏志倭人伝」では、倭国王は魏王から銅鏡を与えられているが、倭国王はそれを権威の印として各地の族長に配ったことだろう。
前方後円墳は、今の皇室につながる大和王権が築き始めたものである。考古博物館は、邪馬台国が前方後円墳を築き始めたとしている。邪馬台国→大和王権連続説を取っているということだろう。この説を採用すると、「魏志倭人伝」に書かれている倭国と今の皇室を戴く日本国は連続していることになる。
兵庫県豊岡市の森尾古墳からは、魏の年号である正始元年(240年)の銘のある銅鏡が出土している。
これなど、倭国が魏からもらった銅鏡だろう。
「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼が死亡したのが248年とされている。最古級の前方後円墳とされ、卑弥呼の墓と目される奈良県桜井市の箸墓古墳は、3世紀中ごろ(約250年)の築造とされている。
また、伊勢神宮のご神体で、天照大御神と同体とされる八咫鏡も恐らく巨大な銅鏡であると思われる。
そう考えれば邪馬台(ヤマト)国=大和王権という説も説得力があると感じる。
この考古博物館の展示物の中で圧巻なのは、丹波篠山市にある雲部車塚古墳の石室と発掘された品のレプリカであるが、これは後の雲部車塚古墳を紹介する記事の時に同時に紹介したい。
武力により列島を統合し、統治制度を確立した大和王権は、7世紀になると駅家(うまや)という通信用の馬を備えた施設を全国に展開し、中央の政治意志が全国に伝わるようにした。
兵庫県たつの市から発掘された布勢駅家遺跡の駅家の瓦が展示されていた。
古代には、木の間に書状を挟んで持ち運んだようだ。
社会の秩序を維持するには、武力も必要だが、それだけでなく文字も必要である。文字があって、それを理解できる人間がいて初めてルールに基づいた国を築くことができる。
ルールを作る政府の意思が全国隅々に到達し、それを守らせる機能があって初めて国家は安定した統治を行うことができる。駅家制度もそのために出来たものではないか。
馬だけでなく、船も重要な交通手段である。
展示されている復元された古代船は、なかなか勇ましい。
考古博物館の展示を見て、人間の生存と国家の関係を考えた。左翼的な思想が流行していた時代には、国家は悪の代名詞のように言われた。
だが現実に地球上の人類のほぼ全員が国家の下で生きていることを思えば、やはり国家という機能は人間が生き残るために必要なもので、人間の生存本能に根差したものなのだと思う。
考えてみるがいい。国家が運営する学校や警察や裁判所や衛生制度や福祉制度がなくなれば、人類の数は激減することだろう。国家とは、人々の助け合いの精神をルールに基づいて制度化したものなのである。
もちろん国家の運営には、人口の大半を占める一般の住民の意向が反映される方がいい。制度やルールは、日々新たに進化しなければならない。
そう考えて日々のニュースを見ると、科学技術が進歩していても、人間が行っていることは古代とさほど変わらないことに気づく。
我々は人類史という長い旅の途中にいるのだ。