五峰山光明寺 前編

 兵庫県加東市光明寺にある五峰山光明寺は、推古天皇二年(594年)に法道仙人が開基したと伝えられる。現在は、古義真言宗の寺院である。

 法道仙人は、実在したかどうかも分からない伝説上の人物だが、東播磨の法道仙人開基と伝わる数多くの寺院は、大抵西暦650年前後に開かれたと伝えられている。

 法道仙人が活躍した時代を7世紀中期とすると、594年は法道仙人の時代よりかなり早いことになる。実際誰が光明寺を開基したのか、真相は闇の中だ。

 光明寺は、標高約250メートルの高所にある。九十九折りの道路を上がると、駐車場がある。駐車場からは、加古川沿いの東播磨平野が一望出来る筈だったが、私が訪れた時間は朝方で、加古川から上がった霧でできた雲海に覆われていた。

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光明寺駐車場から眺める朝霧

 これはこれで、神々しい景色である。

 駐車場からは、ひたすら山上の本堂を目指して歩くことになる。

 寺の入り口には、石門がある。

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光明寺石門

 石門の左手には、手洗い所と地蔵堂がある。手洗い所は、建物、漱水石とも正徳三年(1713年)の造立である。漱水石は、岩間から絶えず湧き出てくるという清水をたたえている。

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漱水石と地蔵堂

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 石門を入って、しばらく歩き、左手に入ると、神変大菩薩役小角の石像があった。細密に彫られた石像である。山の宗教である真言宗役小角の関わりは深い。

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役小角の石像

 役小角像に一礼して、山を上がっていく。

 光明寺には、4つの塔頭がある。多聞院、遍照院、大慈院、花蔵院である。多聞院前には、真言宗寺院には必ずと言ってよいほどある修行大師の像がある。四国八十八か所を始め、若き日の弘法大師が日本中の山岳を修行して歩いた姿が、真言宗の原点である。修行大師像は真言宗を象徴するものである。

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修行大師像

 よく見ると、修行大師像の後ろの白壁の塀に鉄砲狭間がある。多聞院は、寺域の南端にある。この壁は侵入者が最初に直面する壁である。

 戦国時代には寺院も武装集団であったことが実感できる。塔頭は、寺院の周囲に配置されていることが多いが、戦乱の世には、寺院を守る砦の役割も果たしていたのではないか。 

 多聞院の毘沙門堂には、毘沙門天と両脇侍の善賦師童子と吉祥天を安置している。

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多聞院

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毘沙門堂

 多聞院を過ぎて更に道を登ると、右手に遍照院が見えてくる。

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遍照院

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遍照院庫裏

 遍照院には、国指定重要文化財である銅像如来坐像が祀られている。平安時代前期の銅像であるらしい。拝観することは出来なかった。

 遍照院の向かい側には、大慈院がある。

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大慈

 大慈院には、絹本着色善導大師画像一幅がある。加東市指定文化財となっている。

 善導大師は、唐の高僧で、中国浄土教の第三祖である。法然上人に多大な影響を与えた。南無阿弥陀仏の名号を唱え、五体の阿弥陀仏を顕現させる霊力を発揮し、民衆の信仰を集めたという。西暦681年に逝去した。

 寺伝によれば、善導大師が描いた自画像を、入唐した慈覚大師円仁が請来し、承和十四年(847 年)に光明寺に奉安されたとしているが、実際は鎌倉時代を下らない時代に製作されたものであるそうだ。

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善導大師御影堂

 善導大師画像が祀られる御影堂の内陣は、華麗な作りである。格天井には、梵字が書かれていた。

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御影堂内陣

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御影堂内陣の天井

 善導大師画像は、毎年5月3日の花祭りで一般公開される。

 大慈院の西側には、かわらけ投げ所がある。願いを書いたかわらけを投げて願いをかなえる場所であるらしい。

 ここは展望台にもなっている。ようやく朝霧が晴れた東播磨の平野を眺め下すことが出来た。

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かわらけ投げ所からの眺望

 大慈院を過ぎて、更に道を登ると、右手に花蔵院が見えてくる。

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花蔵院

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花蔵院庫裏

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花蔵院庫裏向拝の彫刻

 花蔵院の庭は、苔が一面に生えて美しかった。
 ここには、加東市指定文化財の絹本着色釈迦十六善神図一幅がある。大般若経の転読法要を行う際に本尊として使われるそうだ。

 光明寺のある五峰山は、加古川に向かって西から東に突き出ており、眺望もよく、戦の本拠地にするには好適地である。そのため、光明寺は何度も戦火を浴びた。

 後半では、光明寺を巡る合戦の歴史に触れることになるだろう。