長勝寺の参拝を終え、同じく小豆島町池田にある真言宗の寺院、明王寺を訪れた。
明王寺は、正安三年(1301年)に阿闍梨弘山上人が開創したと伝えられる。
本堂内は拝観できなかった。本堂の脇に、鮮やかな紅梅が咲いていた。
桜もいいが、梅もいいものだ。めでたい気分にさせてもらえる。
本堂の隣には、毘沙門堂があって、毘沙門天の木像が祀られている。
この毘沙門天像は、行基菩薩が四国行脚の途中に小豆島に立ち寄って彫刻したものと伝えられるが、これも伝説上の話であろう。
明王寺境内にある建物で、最も古いものは釈迦堂である。
釈迦堂は、大永二年(1522年)に棟上げされ、天文二年(1533年)に完成した。
木造瓦葺寄棟造で、小豆島唯一の国指定重要文化財の建造物である。恐らく、小豆島内で最も古い建物だろう。
釈迦堂内陣にある厨子と棟札、23枚残る創建時の軒丸瓦と軒平瓦も国指定重要文化財となっている。
厨子は、元々絢爛たる彩色が施されていたと思われるが、今は時代を経て少し黒ずんでいる。
この黒ずんだ感じが、小豆島の片隅に室町時代が今も息づいている感を与える。
また、釈迦堂内には、大永八年(1528年)に寄進された軒丸瓦と軒平瓦がある。
軒丸瓦には、龍や雲が陰刻され、寄進された時の銘文が刻まれている。
銘文の中には、己亥と刻まれたものがあった。釈迦堂が建立された年代に最も近い己亥の年は、天文八年(1539年)である。
瓦が奉納されたとされる大永八年(1528年)と10年以上差がある。どういうことだろう。
棟札や銘文は、文化財の制作年代を特定する上で、決定的な役割を果たす。
棟札や銘文に制作年を刻んだ当時の人は、これが後世にそれほど重要な意味を持つとは思っていなかったことだろう。
記念物の片隅に、何気なく年月日を書き記す事は、後世の人が歴史を大きく見直すきっかけにもなる。
これは、現代の記念物についても言えるのである。