浄橋寺の参拝を終えて東に向かい、宝塚市に入る。
次に訪れたのは、宝塚市米谷にある真言宗の寺院、清荒神清澄(きよしこうじんせいちょう)寺である。
清荒神清澄寺は、真言宗十八本山の一つで、真言三宝宗という宗派の本山である。
門前町には、様々なお店が続いている。ここを散策するだけでも楽しいものである。
私が清荒神清澄寺を訪れた1月28日は、毎年行われる初三宝荒神大祭の日であった。
そのため、普段よりも参拝客が多く、門前町も境内も人でごった返していた。
以前備中の最上稲荷を紹介したが、ここも参拝客が多かった。清荒神清澄寺も神仏習合の信仰形態が色濃く残る寺院だが、神仏習合の寺院の方が、通常の神社や寺院よりも参拝客が多いような気がする。
しばらく参道を歩くと、一の鳥居が見えてくる。
寺院であるが参道に鳥居がある。
清荒神清澄寺は、宇多天皇の勅願で建てられた寺院である。寛平八年(896年)に、讃岐の名工定円法眼に命じて、曼荼華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、比叡山から静観僧正を迎えて開山した。
そして伊勢神宮の内宮、外宮など十五神を勧請し、竈の神様である三宝荒神を鎮守として祀った。
清荒神清澄寺は、三宝荒神と大日如来を祀る神仏習合の寺院なのである。
参道の途中にある大灯篭は、この先が結界であることを示しているという。
大灯篭を過ぎると、荒神川に架かる祓禊(みそぎ)橋がある。
昔の人が、荒神川の水で禊をしてから清荒神に参拝していたことから、橋の名前がついたらしい。
ここからが現世と神聖な世界との境目とされている。
祓禊橋を越えて進むと、露店が並ぶ道に出る。
ここを過ぎると、山門に至る。
創建された当初の清澄寺は、元はここより東の宝塚市売布きよしガ丘の地に建っていた。寺号は、蓬莱山清澄寺であった。
旧清澄寺は、源平の争乱や、戦国時代の争乱により焼失してしまった。
江戸時代末期に浄界和上がこの地に伽藍を再建し、昭和22年に光浄和上が真言三宝宗を開いて、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として再出発した。
山門を潜って境内に入ると、参拝客で一杯である。
参拝順路は、先ず清荒神王(三宝荒神)が祀られた拝殿(天堂)を参拝し、宝稲荷社社を経由して、本尊大日如来が祀られた本堂を参拝するのが正しいようだ。
山門を潜ってすぐ右手に、講堂があり、その前に大きなイチョウが2本生えている。
講堂の隣には、宗務所がある。どちらも立派な建物だが、それ程古い建物ではない。
境内の中央に、「右 大日如来」「左 清荒神王」と刻まれた標柱がある。
私は、参拝順路に従って、先ずは清荒神王が祀られた拝殿に向かった。