1960年代に入ると、高度経済成長の中で、漫画の世界では、妖怪などが出てくる暗い描写のものが流行り始める。
また、昭和41年には、「ウルトラマン」が放映され、怪獣や特撮ものがテレビを賑わし始めた。
そんな時代の昭和40年に、手塚は、「マグマ大使」の連載を開始する。
怪獣ものとSF要素を取り入れた本作は、翌年から全編カラーでテレビ放映された。
更に手塚は、昭和41年から「バンパイヤ」、昭和42年から「どろろ」の連載を開始する。
手塚がライフワークとして描き続け、ついに未完成に終わったのが、「火の鳥」である。
「火の鳥」は、古代から現代、未来まで、あらゆる場所、時間を巡る12の物語から構成される予定だった。永遠の命を象徴する火の鳥を、各時代の人々が追い求めるというストーリーである。
昭和42年に雑誌「COM」に「火の鳥 黎明編」の連載が始まったが、「COM」の休刊により中断を余儀なくされた。
その後、媒体を変えながら21年に渡って発表され続けたが、手塚の病没のために未完成に終わった。手塚の予定では、死ぬ直前に「火の鳥 現代編」を描いて、作品を完結させるつもりだったらしい。
手塚は60年代後半から70年代初頭にかけて、スランプに陥る。昭和48年から「週刊少年チャンピオン」に連載されて、久々のヒット作になったのが「ブラックジャック」である。
天才医師ブラックジャックこと間黒男が、様々な患者を手術し、治療していくという話である。
「ブラックジャック」は、回を追うごとに人気が高まり、手塚作品の中で最も長く連載された作品になった。
最近では、AIが「ブラックジャック」の続編を描いたことで話題になった。
昭和58年に連載が開始された「アドルフに告ぐ」は、昭和61年には単行本化され、一般文芸書と並んでベストセラーになった。
ヒトラーの出自に関する秘密を巡る物語である。
私も中学1年生の時に、死んで今はいない従兄弟の家にあったこの作品を読んでみた。
しかし大人向きのストーリーで、当時の私には面白さが分からず、途中で読むのをやめてしまったのを憶えている。
さて、記念館の2階では、特別展の「プルートゥ展」が開かれていた。
手塚治虫記念館は、基本的に写真撮影OKだが、特別展の展示物も、背景に壁が入る構図ならば撮影OKであった。
アニメ「プルートゥ」は、令和5年に公開された。この作品は、「鉄腕アトム」の中で最も人気の高い回である「地上最大のロボット」を、浦沢直樹氏が平成15年にリメイクして連載したものをアニメ化したものである。
プルートゥは、世界最高水準のロボット7体を倒すことで、自分が世界最強のロボットであることを証明するよう、開発者からプログラミングされて誕生したロボットである。
プルートゥは、次々と7体のロボットに挑み、倒していくが、7体の内の1体、日本のアトムと何度も戦う中で、アトムとの間に友情が芽生える。
そしてプルートゥは戦いの中で、自身の存在に疑問を感じ始める・・・。
手塚の作品には、戦いの虚しさや、生命の尊さを説くものが多い。手塚が幼いころ、昆虫に触れたり、戦争体験をしたことや、戦後に医学の勉強をしたことなどが、その考えの根底にあるのだろう。
手塚治虫は、平成元年2月に病没した。
昭和天皇が崩御して年号が変わったこの年は、昭和を代表する歌手の美空ひばりが亡くなった年でもある。昭和は終わった。
この年は、ベルリンの壁が崩壊し、ブッシューゴルバチョフの「マルタ会談」で、冷戦終結が宣言された年でもある。
昭和を代表する「漫画の神様」が亡くなった平成元年は、色々な意味で一つの時代が終わったことを人々に知らせた年であった。