清澄寺の鎮守である三宝荒神(清荒神王)を祀る拝殿(天堂)に向かう。
拝殿への参道の脇、上の写真では右側に、牛頭天王を祀る護牛神堂がある。
ここは参拝客が列をなしていて、後で参拝しようと思って通過したが、そのまま忘れて参拝せずにしまった。残念である。
拝殿の前は、錫杖を持った布袋さんが門番のように両側に立っている。
拝殿には、三宝荒神、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩の他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られている。
ここも参拝客が引きも切らない。
東面した拝殿から、浴油堂が棟つづきになっている。
ここでは、三宝荒神・歓喜天尊の合行如法浴油供(ごうぎょうにょほうよくゆく)という秘法が、毎日法主により厳かに行われているという。
なお浴油堂は、秘密の戒壇として、法主と坦行事以外は足を踏み入れることが出来ないそうだ。
この日は、初荒神三宝大祭の日で、拝殿で僧侶による大般若経転読法要が行われていた。
雅楽の演奏が行われ、その前に僧侶が並んで法要を行う様子は、まさに神仏習合の世界である。
参拝客は拝殿前に集まって、その様子を一心に見つめている。一般的な日本人にとって、神事も仏事も有難さは変わらない。神仏習合している方が、一挙両得で、有難さが増すくらいの感覚しかないだろう。
この日本人の宗教に対する大らかさが、日本本来の文化であると思う。ではこの大らかさは一体どこから来るのか。今後解くべき謎である。
拝殿の奥には、護法堂がある。
護法堂には、正面に大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜童子、左に弁才天がお祀りされている。ここでは荒神様も悟りを開いた如来になっているのだ。
護法堂の背後には、荒神影向(ようごう)の榊が植えられている。
影向とは、神仏が姿を現すことを指す言葉である。
この榊の周囲にある賽銭を持ち帰り、使わないで大事に持っていると良運に恵まれるという。
その代わり、次回参拝した時は、賽銭を倍にして返さなければならないという。
拝殿の北側には、善女龍王を祀る龍王堂や、役小角を祀る神変大菩薩(行者洞)がある。どちらも参拝客が並んでいる。
その間にあって一際目を引くのが、火箸を奉納した火箸納所である。
三宝荒神は火の神様であり、火箸は厄を取り除くご利益があると言われている。
清荒神では、古来から、厄年には火箸を授かって家庭にお祀りし、厄が開けるとお礼参りに新しい火箸を添えて、家庭に祀っていた火箸を奉納するという習慣があった。
火箸納所には、沢山の火箸が奉納されている。
こうして見ると、日本人にとっての信仰と日常生活とは、密接に関係しているように思えてくる。
抽象的な教義や思想よりも、日々接する生活や自然の中に、神仏の姿を見るのが、日本人の古来からの宗教的態度であろう。