柵原鉱山資料館の地下1階には、在りし日の鉱山の作業を人形と機械で再現したコーナーなどがある。
地下1階には、エレベーターで下りていくが、坑道に下りるエレベーターをイメージした意匠が施されている。
このエレベーター、たった1階を下りるだけだが、やたらと時間がかかる。1階まで下りる間、スピーカーから坑内の作業音などが流れてくる。
地下に下りると、かつての坑道の模型が展示してあった。昭和の匂いのする模型である。
まるで蟻の巣のように坑道が四通八達している。採掘された鉱物は、30番坑に集められ、中央竪坑を使って地上まで運ばれる。
坑道は最深部で地上から約1000メートルの深さがあり、最盛期には約3000人の人々が鉱山で働いていた。
ここから掘り出された硫化鉄鉱からは、硫酸と鉄が取れて、そこから様々な工業製品が作られていく。
坑道を掘り進むには、削岩機で鉱体に穴を開け、そこに詰めた爆薬で鉱体を爆破する。削岩機で鉱体に穴を開けるには、高度な技術と豊富な経験が必要な作業で、掘削作業の花形だったそうだ。
爆破されて砕けた鉱石は、タイヤローダーという圧縮空気で動いて鉱石を掬う機械や、スクレーパーというワイヤーロープで前後に動く機械で鉱井という竪穴に落とされる。
鉱井に落とされた鉱石は、坑道内を走るトロッコ列車に積まれ、移動する。
トロッコ列車は、鉱石を地上まで引き上げる巻揚機のある竪坑まで鉱石を運ぶ。
竪坑の中で、最深部まで掘り進められていたのが中央竪坑である。櫓上滑車で中央竪坑に巻揚機を上げ下げしていた中央竪坑櫓は、長い間柵原のシンボルであった。この巻揚機は、鉱物だけでなく、作業員や作業機械も上下させていた。
中央竪坑櫓は、柵原町の中心となる建設物だったが、平成3年の閉山後に取り壊された。
柵原鉱山資料館の外に、中央竪坑櫓のレプリカが展示してあるが、櫓上滑車だけは実際に中央竪坑櫓で使われていたものである。
町の発展を支えてきたシンボルが取り壊された時の町民の寂しさはいかばかりだったか。
私は、中央竪坑櫓のあった場所に行ってみた。そこは今は、産業廃棄物処分場として使用されていた。
今、廃墟巡りが人気らしいが、現役の産業廃棄物処分場であるこの場所も、柵原鉱山の廃墟とも言える。
かつて中央竪坑から揚げられた鉱石を積載するため、片上鉄道の貨物車が並んでいたであろう線路跡は舗装され、タンクローリーが駐車していた。
今、工場ウォッチも人気を集めているらしいが、要塞のような工場の姿は、独特な魅力を持っている。動いて何かを生み出す巨大な機械の集合体である工場には、人をわくわくさせる何かがある。
柵原鉱山は、明治から昭和まで、日本の産業の発展の一翼を担った。老いて閉山となった柵原鉱山だが、我が国に齎した豊かさを思い、感謝する気分になった。