つやま自然のふしぎ館 中編

 つやま自然のふしぎ館の2階に上る。

 第5室は、「日本とアジアの動物」がテーマだが、いきなり牙を剥きだした2頭のトラが出迎えてくれる。

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第5室の展示

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アムールトラスマトラトラ

 シベリア地方に生息するアムールトラ(写真右)と、インドネシアに生息するスマトラトラ(写真左)が並んでいるというのは、自然界ではあり得ず、ここでだけお目にかかることが出来る。

 展示されているオラウータンの剥製は、明治初頭に日本に輸入されたものの一つで、剥製の世界のビンテージの一つだろう。

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オラウータンの標本

 オラウータンの手の長さには瞠目する。我々人類の祖先も樹上で生活していたのだろうが、気候変動で住んでいた土地が乾燥して木から降りざるを得なくなって手が短くなり、二足歩行をしだした。

 オラウータンと言えば、私はどうしてもエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」を思い出す。

 第6室は、世界の鳥を展示している。どうも大きな猛禽類に目が行ってしまう。最も大きいのは、中東とアメリカ大陸北部に生息するヒゲワシだ。翼を広げれば、3メートルはあるそうだ。

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ヒゲワシの標本

 「アラビアンナイト」に出てくる怪鳥ロックのモデルになった鳥と言われている。

 南欧やアフリカ、インドに生息するシロエリハゲワシは、チベットで行われる鳥葬で死者の肉を啄む鳥として有名だ。

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シロエリハゲワシ

 死肉を効率的に食べられるように、嘴や首の長さも進化したように見える。

 第7室の北米大陸の動物コーナーに行くと、アメリカバイソンやトナカイが出迎えてくれる。

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アメリカバイソンやグリズリー

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トナカイ

 トナカイの角を見ると、何の必要があってこんな形になったのか、理解しがたい。何か意味があるのだろう。

 第8室は、日本の野生動物のコーナーだが、親しみある動物たちを目にして、何だか家に帰ってくつろいだかのような安堵感を感じる。

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日本の動物たち

 ところで館では、人肉を食べた北海道のヒグマの胃袋から出て来た人体の一部の写真が展示してあった。

 ヒグマの恐ろしさを改めて思い起こさせてくれる展示だったが、よく考えて見ると、自分達の食用に牛や豚や羊を大量に飼育し、膨大な魚を捕獲したり養殖して、次々と殺しては胃袋に入れていく我々人類の方が、余程恐ろしい存在ではないか。

 私は別に人間が他の動物を食べることに反対しているわけではないが、自分たちが地球上の生物の中で、圧倒的に他の生物の命を奪っている存在であることは認識した方がいいと思う。

 最近仏教の勉強をしていて、欲を制するとはどういうことかを考えているが、食欲は無くすことは出来ない。

 有機物は有機物を食べることでしか生命を維持できない。植物は例外的に二酸化炭素と水と日光で生命を維持できるが、動物は必ず植物を含めた他の生命を食べなければ生きていけない。砂や石などの無機物を食べても生きられないのだ。生きるということは、他の命を奪うことだという冷厳な現実からは逃れることは出来ない。自分たちの命をつなぐ日々の食事には感謝しなければならないと思う。

 ところで当館展示の圧巻は、第9室のホッキョクグマミナミゾウアザラシだろう。

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ホッキョクグマの標本

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ミナミゾウアザラシの標本

 写真ではこの迫力は伝わらないが、現地で見ると、ホッキョクグマミナミゾウアザラシも驚くほどの巨体である。この2体の標本が対面する形で展示されている。

 ところで、この2匹は、北極と南極という両極に分かれて生息しており、通常顔を合わせる事はない。

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ホッキョクグマミナミゾウアザラシの対面についての説明板

 説明板を読むと、この館がこの2匹の対面を売りにしているのが分かる。

 つやま自然のふしぎ館を設立した森本慶三は、錦屋を経営した先祖代々が蓄積した富をつぎ込んでこの館を設立し、自分の脳や臓器も展示品として館に提供した。自分の全てをこの館に賭けたと言ってもいいのではないか。

 展示品を熱心に見学する子連れの家族で賑わう館の様子を見ると、森本慶三の望んだものは実現したのではないかと思える。