旧梶村家住宅の「座敷」と呼ばれる建物は、大正期に建てられた2階建ての建物である。1階、2階とも南側がガラス張りで、冬の日差しの暖かい日などは、この建物で過ごすと心地好いだろうと思われる。
主屋と座敷は、廊下でつながっている。座敷は主屋より床が高いようで、主屋からは段差を上って行かなければならない。
この廊下の先に、8畳の座敷があり、その隣に10畳の床の間がある。
座敷と床の間の間の欄間の意匠がモダンである。
床の間は、主屋の床の間よりも広々として、心地好い空間だ。
座敷の南北の戸を開け放つと、風が建物内を吹き抜ける。暑い日本の夏は、こういう建物の中で蚊取り線香をつけ、団扇を煽ぎながら過ごしたい。
座敷の縁側からは、泉水を控えた庭園を眺めることが出来る。
石が計算されたように組み合わされた庭園である。ここに水が湛えられていたら、さぞ涼しかったことだろう。
座敷の裏には、洋館と、それに接続する裏座敷と呼ばれる建物がある。
洋館は非公開であったが、昔の医院のような、横溝正史の世界を彷彿とさせるレトロな建物だった。大正期の建物である。
洋館・裏座敷の隣の東蔵も、大正時代の建造である。
東蔵の内部では、なぜか祇園祭の山鉾の模型などが展示されていた。
いつ火災で焼失するか分らない木造家屋ばかりの時代に、貴重品を収蔵する土製の蔵の存在は大きかったに相違ない。
西蔵の手前には、昭和初期に建てられた茶室「千草舎」がある。
長い軒を支える柱は、自然の木を加工せずにそのまま使っているかのような風情である。
茶室内の床の間や、床の間の網代編みの天井も、自然の素材の意匠をそのまま生かしている。
一見みすぼらしく見える、加工していない自然そのままの素材を、うまく組み合わせることで、閑雅な空間を生み出している。
私は茶道を嗜まないが、自然むきだしのあばら屋の中で、主客がただ向かい合って茶を喫するという茶道は、人に自己の足元を見つめさせる効果があると思う。禅の精神に通じるものがある。
茶室の外の「座敷」の壁際には、客が茶室への入室を待つ腰掛がある。ここで風に当りながら待つ時間も、豊かなものだろう。
茶道は、陶芸や着物、掛け軸、和菓子、活花、和歌や俳句、禅とも結びついていて、日本文化を総合した芸術と言っていいと思う。
茶道は安土桃山時代に利休が完成に近づけたものだが、日本の茶道は、寂びた自然の中から宝石を紡ぎ出したような、偉大な創造だと思う。
茶席の禅語で有名な、「喫茶去(きっさこ)」は、「まあ、お茶を飲んでいきなさい」というほどの意味だそうだが、ここに人生の真実が籠められていると思われる。
自然の中でお茶を喫するという自分の姿に、全力で徹することが出来るようになれば、人生のどんな場面にも心を込めて主体的に動くことが出来るようになるのではないか。