片上鉄道

 新型コロナウイルス対策のため、4月7日に政府から緊急事態宣言が出された。私が住む兵庫県も、対象地域となっている。

 政府の緊急事態宣言を受けて、兵庫県は、県民に不要不急の外出の自粛を要請している。私の史跡巡りなど、不要不急な外出の最たるものなので、しばらくは自粛しようと思っている。

 今日書く記事は、緊急事態宣言が出される前に訪れた場所の紹介である。

 かつて岡山県に柵原(やなはら)町という町があった。今は、平成の大合併で、久米郡美咲町に統合されていて、その名はない。

 柵原町は、柵原鉱山で有名な鉱山の町であった。ここでは、硫化鉄鉱がよく取れた。硫化鉄鉱には、硫黄が52%、鉄が45%含まれている。硫黄は硫酸や化学肥料、化学繊維の原料となり、鉄からは磁気テープの原料となる酸化鉄などが作られていた。

 柵原鉱山は、明治期から昭和中期まで東洋一の硫化鉄鉱の鉱山だったが、石油の精製過程で硫黄が安く生産できるようになって、硫化鉄鉱の需要が衰え、平成3年3月に閉山となった。

 掘り出された硫化鉄鉱を、今の備前市の片上港まで運ぶため、かつて柵原から片上まで、片上鉄道が通っていた。片上港まで運ばれた硫化鉄鉱は、そこから船で各地に運ばれた。和気駅では、国鉄山陽本線和気駅と接続し、陸路でも運ばれた。

 旧片上鉄道吉ヶ原駅跡は、現在廃坑となった柵原鉱山をしのぶ柵原ふれあい鉱山公園となっている。

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柵原ふれあい鉱山公園

 柵原ふれあい鉱山公園には、国登録有形文化財に指定されている旧片上鉄道吉ヶ原駅舎や、片上鉄道で使われていた車両、柵原鉱山資料館などがあって、子供連れなどの観光客も多い。

 片上鉄道は、大正8年に鉄道会社が設立され、大正12年(1923年)に片上ー矢田間が開通し、昭和6年(1931年)に柵原までの全線が開通した。

 吉ヶ原駅舎も、全線開通した昭和6年の建設だろう。

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旧片上鉄道吉ヶ原駅舎

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 吉ヶ原駅舎は、三角屋根の瀟洒な駅舎である。片上鉄道は、沿線住民の足としても使われていた。ここから、鉱山で働く人々の家族が、片上鉄道に乗り降りしたことだろう。

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駅舎の中

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片上鉄道沿線図

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 片上鉄道は、備前片上から美作までを南北に結ぶ貴重な鉄道であった。

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改札口

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駅舎とホーム

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 吉ヶ原駅舎の前には線路が残されているが、廃線となった今では、自由に線路上を歩くことができる。

 童心に帰ることができる楽しい経験である。

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DD13と客車

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DD13

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客室

 駅舎前には、かつて片上鉄道で運行されていた各種車両が展示されている。機関車であるDD13は、貨物車両を引っ張る車両である。それまでの蒸気機関車の代わりに導入された。

 600馬力のインタークーラー・ターボ付きディーゼルエンジンDMF31-FBIを2基搭載し、合計1200馬力の出力を誇る。

 巨大なディーゼルエンジンを積んだ機関車は、武骨で格好いいと思う。DD13は、秋田県の鉱山鉄道である小坂鉄道でも活躍したそうだが、小坂鉄道も今や廃線となっている。

 かつて硫化硫黄をどんどん運んだ車輛である。

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キハ702

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キハ312

 その他にも、昭和42年に導入された、前面がカーブしている量産型大型気動車キハ702などが展示されている。

 これらの展示車両は、毎月第一日曜日の展示運転の際に、実際に動かされている。試乗もできる。

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硫化鉄鉱の運搬用貨物車両

 柵原鉱山で採掘された硫化鉄鉱は、運搬用の貨物車両に載せられて運ばれた。

 片上鉄道が開通するまでは、硫化鉄鉱は、吉井川を上下する高瀬舟によって下流に運ばれていた。

 柵原ふれあい鉱山公園には、かつての高瀬舟も展示されている。

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高瀬舟

 吉井川は、渇水期には水運が困難となり、鉱石の袋詰め作業が必要だったため、輸送コストが高かった。鉄道の建設は、輸送の安定化と輸送コスト削減のため行われた。

 技術の進歩などによって、交通手段もどんどん変化していく。今盛んなものが、時代の推移とともに廃止されることもある。

 世界は日々更新されている。時代の推移と交通手段の変化を辿るのも、面白い。