鉱山

明延鉱山

兵庫県養父市大屋町明延(あけのべ)には、かつて明延鉱山と呼ばれる鉱山があった。 明延から採れた銅は、天平時代に東大寺の大仏を鋳造する際に奉献されたとも伝えられている。 明延鉱山は、平安時代初期の大同年間(806~810年)に採掘が始まったとされ、…

神子畑選鉱場跡 後編

神子畑選鉱場跡の前の広場には、通称明延一円電車と呼ばれた電車が展示されている。 明延一円電車 一円電車の客車 養父郡の明延鉱山と神子畑選鉱場との間を、鉱石と乗客を運ぶために走った電車である。 遊園地の乗り物の電車と大差ないような小さな電車であ…

神子畑選鉱場跡 前編

明治11年(1878年)に、現在の兵庫県朝来市佐嚢(さのう)の地で鉱山が発見された。神子畑(みこはた)鉱山である。神子畑鉱山からは、良質な銀が採掘された。 明治14年に神子畑鉱山が本格開鉱してから、採掘された銀を生野まで運ぶための馬車道が整備された…

生野銀山 その5

金香瀬坑道から出て、坑道の裏山に点在する露頭群を巡り歩くことにする。 露頭とは、地表に露出した鉱脈のことで、江戸時代までは、こうした露頭を掘り進んで鉱石を掘り出した。 金香瀬旧坑露頭群案内図 金香瀬坑口のすぐ側に不動の滝と呼ばれる滝が滾り落ち…

生野銀山 その4

昭和の鉱山の作業の様子を引き続き見学する。 江戸時代には鑿で手掘りしていた鉱山も、昭和の時代には削岩機、削孔機で掘り進めるようになった。 上向き削孔機を使用する作業員 坑道の岩盤が軟弱な箇所は、人為的に補強したが、その工法の一つである五枚合掌…

生野銀山 その3

生野銀山の坑道で現在公開されているのは、金香瀬坑道である。 金香瀬坑道入口と出口 写真左のトンネルの入口のようなものが金香瀬坑道の入口で、右側の橋の奥が坑道の出口である。 坑道出入り口の周囲は、岩壁を清冽な滝が流れ落ちており、心地好い空間であ…

生野銀山 その2

生野銀山の坑道入口手前に、鉱山資料館がある。 鉱山資料館 この資料館には、江戸時代の生野銀山での作業を再現した模型や、江戸時代、明治時代の鉱山関係の文書資料、鉱石、貨幣などが展示されている。 生野銀山からは、金、銀、銅、亜鉛、鉛、錫などが発掘…

生野銀山 その1

兵庫県朝来市生野町小野には、国指定史跡の生野銀山がある。 生野銀山 生野銀山は、大同二年(807年)に初めて発見されたと伝えられる。 元禄年間に成立した「銀山旧記」によれば、天文十一年(1542年)に、山名祐豊が生野銀山を開鉱し、古城山麓に生野城を…

柵原鉱山資料館 後編

柵原鉱山資料館の地下1階には、在りし日の鉱山の作業を人形と機械で再現したコーナーなどがある。 地下1階には、エレベーターで下りていくが、坑道に下りるエレベーターをイメージした意匠が施されている。 坑道のエレベーターをイメージしたもの このエレ…

柵原鉱山資料館 前編

岡山県久米郡美咲町吉ヶ原の柵原ふれあい鉱山公園内にある柵原鉱山資料館には、大正時代から昭和時代にかけて最盛期を迎えた柵原鉱山に関する資料を展示している。 柵原鉱山資料館 慶長年間に、津山藩主森忠政が、津山城を築城するための石材を集めていた際…