摂津

神戸市 徳光院

城山から下山して、神戸市葺合町布引山にある臨済宗の寺院、徳光院を訪れた。 徳光院山門 この寺院の歴史は実は新しい。創建は20世紀に入ってからで、明治39年(1906年)である。 境内への石段 石段上の狛犬 この地には、元々役小角が創建した滝勝寺という真…

滝山城跡

布引の滝の西側に聳える城山の山上にあるのが、滝山城跡である。 城山 滝山城は、鎌倉時代末期に赤松円心が鎌倉幕府軍と戦うために拠点にした城と言われている。 戦国時代には、松永久秀の支配下となった。弘治二年(1556年)、久秀は主君の三好長慶をこの城…

布引の滝

うろこの家の北側には六甲山系が迫っている。 実はうろこの家の裏側には、JR新神戸駅の北側に抜ける遊歩道がある。 背山散策路の地図 遊歩道の途中に地図があった。どうやらうろこの家の裏山は、背山と呼ばれているらしい。遊歩道は、背山散策路北野道という…

うろこの家 後編

うろこの家1階の見学を終えて2階に上がる。 階段 2階通路 2階は中央に通路があり、建物の北東、南東、北西、南西にそれぞれ部屋がある。南側にはベランダがある。 南東の部屋は、絢爛豪華なアンティーク家具を多数置いている。 南東の部屋 アンティーク…

うろこの家 前編

北野天満神社からさらに山際まで歩く。北野異人館街の中で最高所にあるのが、国登録有形文化財のうろこの家である。 うろこの家入口の煉瓦塀 うろこの家 うろこの家は、明治18年(1885年)に旧居留地付近に建築され、明治38年(1905年)に現在地に移転した。…

北野天満神社

神戸市中央区北野町の地名の由来になったのが、風見鶏の館の東隣に鎮座する北野天満神社である。 北野天満神社 治承四年(1180年)に、平清盛が福原京に都を遷した際、福原の鬼門に当たるこの地に禁裏守護、鬼門鎮護の神として、京都の北野天満宮から菅原道…

風見鶏の館 後編

赤いカーペットが敷かれた階段を上がり、2階に行った。 階段 階段途中のステンドグラス 階段踊り場から2階を見上げる 2階はトーマス家のプライベートな空間であり、1階の豪華な造りと比べ、割合簡素に造られている。 質実剛健で合理的なドイツ人らしい家…

風見鶏の館 中編

玄関の扉を開けて館の中に入ると、1階中央のホールが出迎えてくれる。 1階ホール ホールに入って左側には、トーマス夫人のサロンとして使われていた応接室がある。建物の南東側に当たる。 応接室 応接室の天井には、アールデコ調の直線と曲線で構成された…

風見鶏の館 前編

北野町広場の北側に建つのが、北野町だけでなく、神戸市を象徴する建物と言える風見鶏の館である。 風見鶏の館 風見鶏の館は、ドイツの貿易商であるゴットフリート・トーマスが明治42年ころに建てたものである。正式名称は、旧トーマス住宅で、風見鶏の館は…

萌黄の館 後編

萌黄の館の2階へは、オーク材で作られたと思われる、重厚な色合いの手摺が付いた階段を登っていく。 階段 階段は、2階の手前で踊り場を挟んで北側と南側に分かれている。 南北に分かれる階段 2階北東側には、バスタブを備えた浴室、トイレ、洗面室がある…

萌黄の館 前編

ラインの館の前の坂を北に上がり、東西道に突き当たると西に歩く。すると、円形の北野町広場に行き着く。 広場の西側に見えてくるのが、国指定重要文化財の洋館、萌黄の館である。 神戸市中央区北野町3丁目にある。 北野町広場と萌黄の館 サックス奏者のブ…

ラインの館

北野物語館から北野坂を北上すると、東西通りの北野通に至る。ここを右折東進すると、ラインの館が見えてくる。 北野通は、石畳の歩道が続き、両脇に洋館が並ぶ通りである。 北野通 幕末の神戸港開港と共に、旧居留地に西洋人が沢山やってきた。明治20年ころ…

関西ユダヤ教団シナゴーグ ジャイナ教寺院 北野物語館

シュウエケ邸から西に歩き、一度トアロードに出てから北上する。道なりに歩くと、神戸市中央区北野町4丁目の関西ユダヤ教団シナゴーグの前に出る。 関西ユダヤ教団シナゴーグ ユダヤ教となると、日本人にはイスラム教よりも馴染みがないかも知れない。ユダ…

神戸ムスリムモスク シュウエケ邸

8月6日に神戸の史跡巡りを行った。 先ず訪れたのは、神戸市中央区中山手通2丁目のパールロード沿いにある神戸ムスリムモスクである。 この建物を見ると、一瞬自分が中東のどこかの町中に紛れ込んだ気持ちになった。 神戸ムスリムモスク このモスクは、昭…

生田神社 後編

生田神社境内の北東には、生田稲荷大明神がある。 奉納された赤鳥居が、社殿までずらりと並んでいる。 生田稲荷大明神 狛狐 お稲荷さんは、日本全国に隈なく祀られている神様だが、どうも他の神様とは棲んでいる世界が違うような気がする。 生田稲荷大明神の…

生田神社 中編

生田神社の社殿は、昭和20年の神戸大空襲で焼失した。今ある建物は戦後に建てられたものである。 拝殿は、平成7年の阪神淡路大震災で全壊した。 私は、平成8年6月の神戸新聞の一面に、生田神社拝殿復興の記事が載っていたことを、今でも憶えている。 拝殿…

生田神社 前編

三宮神社から北上し、神戸市中央区下山手通1丁目の生田神社に向かった。 生田神社は、正月には兵庫県で最多の初詣客を集める、兵庫県を代表する神社の一つである。 途中、繁華街の生田ロードを歩くが、生田ロードの南端に生田神社の赤鳥居がある。 赤鳥居 …

三宮神社

神戸らんぷミュージアムを出て、神戸市中央区三宮町2丁目にある三宮神社まで歩いた。 三宮神社 神戸には、厄除八社と呼ばれる八つの神社があり、それぞれ一宮から八宮の名で呼ばれている。 神戸の厄除八社 一宮神社から八宮神社までの祭神の内、大己貴尊を…

神戸らんぷミュージアム 後編

石油ランプと同じく、明治になって日本に上陸したのがガス灯である。 明治5年(1872年)、フランス人技師ブレグランの指導の下、横浜で日本初のガス灯が点灯された。 明治7年(1874年)には、東京新橋や神戸居留地にガス灯が設置された。 ガス灯は、当初は…

神戸らんぷミュージアム 中編

昔使われた照明具として思い浮かぶのはロウソクだが、実は江戸時代までロウソクは非常に高価で、庶民にはとても手が出せるものではなかった。 今では石油パラフィンを使った安価なロウソクが大量生産されているが、昭和初期まで作られていた和ろうそくは、ハ…

神戸らんぷミュージアム 前編

東遊園地から歩いて神戸市中央区京町に戻り、神戸らんぷミュージアムに赴いた。 神戸らんぷミュージアムのあるクリエイト神戸ビル 神戸らんぷミュージアムの看板 神戸らんぷミュージアムの入口 神戸らんぷミュージアムは、関西電力が経営していた灯りに関す…

海軍操練所跡 東遊園地

神戸市立博物館を出て、京町筋を南に歩くと、京橋に至る手前の左側に、史跡海軍操練所跡の碑が建っているのが見えてくる。ここは神戸市中央区海岸通17番地になる。 史跡海軍操練所跡の碑 文久三年(1863年)、摂津の海岸防備の準備のため、この地方を巡視し…

神戸市立博物館 後編

神戸市立博物館の1階に降りると、無料で見学できる神戸の歴史展示室がある。 古代から戦後までの神戸の歩みを学ぶことが出来る。特にジオラマの展示が見応えがある。 五色塚古墳の模型 神戸市垂水区にある兵庫県内最大の前方後円墳、五色塚古墳の模型は、か…

神戸市立博物館 中編

コレクション展示室の古地図や名所図会(ずえ)のコーナーに入った。 目につくのは、17世紀に作成された「大坂から長崎迄航路図」である。 「大坂から長崎迄航路図」には、紀伊から淡路、四国を通って鹿児島経由で長崎に行く南側ルートと、瀬戸内海から玄界…

神戸市立博物館 前編

旧居留地のほぼ中心に位置する神戸市中央区京町にあるのが、神戸市立博物館である。 ここは、神戸市内から発掘された考古資料や、南蛮美術、古地図のコレクションなどを数多く収蔵し、展示する博物館である。 神戸市立博物館 神戸市立博物館の建物は、昭和10…

旧居留地 後編

明治32年(1899年)の条約改正で外国人居留地は廃止されたが、大正から昭和にかけて、旧居留地地域には、ビルが数多く建設された。 昭和初期の旧居留地の模型 震災で打撃を受けたが、今でも旧居留地には、大正から昭和初期に建設されたレトロビルが多数残っ…

旧居留地 前編

慶応三年(1867年)に日本と通商条約締結国五ヶ国との間に結ばれた、「兵庫港並びに大坂に於て外国人居留地を定むる取極」により、北は旧西国街道、西は鯉川、東は旧生田川、南は海岸に囲まれた区域を外国人居留地とすることが決まった。 外国人居留地には、…

相楽園 後編

かつて相楽園に建っていた旧小寺邸の本邸は神戸大空襲によって焼け落ちてしまった。 その代わり、という訳でもないだろうが、昭和38年に神戸市中央区北野町のいわゆる異人館街から相楽園に移築されたのが、旧ハッサム住宅である。 旧ハッサム住宅 旧ハッサム…

相楽園 前編

神戸市外国人墓地の見学を終えると、再度山ドライブウェーを使って再び市街地に下りて来た。 次に訪れたのは、神戸市中央区中山手通5丁目にある和風庭園、相楽園である。 相楽園の塀 相楽園は、神戸市長小寺謙吉の父小寺泰次郎が、明治18年に私邸として建設…

再度公園 神戸市外国人墓地

大龍寺の参拝を終えて、スイフトスポーツを駆り、再度山北側の再度公園に赴いた。 再度公園は、昭和12年に開設された公園で、六甲山の峰を越えた北側にある。地名では、神戸市北区山田町下谷上になる。 この一帯は、かつて空海が入唐前と帰朝後に訪れて、修…