神戸市立博物館 前編

 旧居留地のほぼ中心に位置する神戸市中央区京町にあるのが、神戸市立博物館である。

 ここは、神戸市内から発掘された考古資料や、南蛮美術、古地図のコレクションなどを数多く収蔵し、展示する博物館である。

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神戸市立博物館

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 神戸市立博物館の建物は、昭和10年横浜正金銀行神戸支店として建設された。

 外装は全て御影石からなる重厚感ある建物で、特に東側正面の、ギリシア神殿のような円柱が立ち並ぶ姿は壮観である。

 戦後は東京銀行神戸支店として使用されたが、昭和57年に内部を改装して西側に増築部分を加え、神戸市立博物館として開館した。

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西側増築部分

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西側にある帆船のレリーフ

 神戸市灘区にあった神戸市立南蛮美術館と、須磨離宮公園内にあった神戸市立考古館を合併して新たに作られた博物館である。

 兵庫県内で大規模な美術展覧会を催す会場としては、兵庫県立美術館と神戸市立博物館が双璧である。

 私も今まで何度かここで開催された展覧会を観に足を運んだことがある。

 私が訪れた時は、丁度「大英博物館ミイラ展」が開催されていた。

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大英博物館ミイラ展の案内

 これはこれで面白そうだが、当ブログのテーマは日本の史跡巡りなので、この展示は見なかった。

 神戸市立博物館の1階には、無料で見学できる神戸の歴史展示室があり、2階では、同館のコレクションを展示するコレクション展が開かれている。

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神戸の歴史見学室とコレクション展の案内

 私は、神戸の歴史展示室とコレクション展示室を見学することにした。

 博物館内部は、天井に天窓のある開放的な空間である。

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博物館内部

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天井

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ガラスのドーム天井

 まずは2階のコレクション展示室を見学した。
 神戸市立博物館は、神戸市兵庫区出身の教育家、池長孟(はじめ)が昭和初期に収集した南蛮美術を収蔵している。

 その中で最も有名なのは、日本史の教科書や資料集にもよく載っていて、ほとんどの日本人が目にしたことがあると思われる、絹本著色フランシスコ・ザビエル像である。

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絹本著色フランシスコ・ザビエル像(レプリカ)

 フランシスコ・ザビエルは、天文十八年(1549年)に日本に来航し、我が国に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師である。

 ザビエルは日本に来た3年後に死去するが、元和八年(1622年)に列聖された。

 この像は、ザビエルの列聖以降に制作されたものだろう。

 慶長十八年(1613年)には、幕府によってキリスト教の禁教令が出されているので、この画像は秘密裏に制作され、幕府の役人の目に触れないように秘かに掲示されていたことだろう。

 寛永二年(1625年)には、ザビエル像を持ったイエズス会士が、天草の漁師を訪れたという記録があるそうだ。

 天草、島原で発生した島原の乱は、寛永十四年(1637年)の出来事である。

 大正9年、大阪府三島郡清渓村の東藤次郎宅に、このフランシスコ・ザビエル像を含むキリシタン遺物が秘匿されていたことが判明する。

 池長孟は、昭和10年にこのザビエル像を入手し、昭和15年に開館した池長美術館で展示したが、昭和26年に池長美術館と所蔵する南蛮コレクションを神戸市に寄贈した。

 平成12年、フランシスコ・ザビエル像は、国指定重要文化財となった。

 南蛮美術の展示室には、この他に戦国時代のキリシタンが胸にかけていたメダイが展示されていた。

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メダイ

 メダイの多くは、聖母マリア像か磔刑されたキリスト像を刻んだものである。

 神戸市立博物館が所蔵する南蛮美術には、この他に、国指定重要文化財の紙本金地著色泰西王侯騎馬図四曲屏風や紙本金地著色南蛮人渡来図六曲屏風がある。

 南蛮文化とは、日本に渡来したスペイン、ポルトガルの文化のことである。南蛮文化が日本に流入したのは、ザビエル来航から秀吉によるキリスト教禁教の間の約40年間ほどだろうが、当時の日本人は貪欲に南蛮の文化文物を吸収した。

 日本人は、自分たちより進んだ文化や文明に対する好奇心が強い民族だと思うが、自分たちが世界で最も優れていると思った途端に失敗するという歴史を繰り返してきた。

 バブル経済の時代に、日本人は日本経済と日本の技術と日本式経営が世界一だという自信を持ったが、その後の低迷を見ると、やはり自惚れがあったように思う。

 日本が輝く秘訣は、自分たちより優れた海外のものを貪欲に吸収する好奇心にあるように思う。