8月6日に神戸の史跡巡りを行った。
先ず訪れたのは、神戸市中央区中山手通2丁目のパールロード沿いにある神戸ムスリムモスクである。
この建物を見ると、一瞬自分が中東のどこかの町中に紛れ込んだ気持ちになった。
このモスクは、昭和10年に神戸に住むイスラム教徒が出資して建築したものである。我が国最初のモスクである。
昭和10年の日本人にとっては、イスラム教は縁遠い宗教であった。自分たちの住む東アジアと先進地域の西洋が日本人にとって関心のあるエリアで、中東やイスラム教への関心は低かっただろう。
また世界の人口に占めるイスラム教徒の割合も少なかった。
そんな時代にこのモスクは建てられたが、今では歴史的建造物の仲間入りをしつつある。
現代では、東アジア人やヨーロッパの白人の人口が減少する一方で、イスラム教徒の人口は、中東やアフリカ、ヨーロッパで増え続けている。このまま行けば、今世紀半ばには、イスラム教は世界で最大の信者を擁する宗教になりそうだ。
人口動態を見れば、かなり正確に世界の行く末を予測できる。
イスラム教の影響力は、今後の世界で益々増してくるだろう。我々が学生時代に学んだ世界史では、イスラム教圏は脇役だった。主役はあくまで中国やヨーロッパだった。だがこれからは、イスラム教圏が世界史の主役に躍り出てくるだろう。
このままの人口動態が続けば、1000年後の世界人口の8割がイスラム教徒になっているかも知れない。
その時代には、世界史=イスラム教の歴史で、西洋や東洋の歴史は世界史の中でおまけ程度のものになるかも知れない。
イスラム教は、教団というものを持たない宗教である。信徒は「コーラン」を通して神と直接つながることが出来る。また、宗教の中に法律を内包していて、それが生まれてから死ぬまでの人の生活のすべてを律している。宗教というより、1人の人間の人生から国の政治までを包含する一つのシステムである。
ムスリム(イスラム教徒)が生きる目的は、ムスリムとして生まれ、ムスリムとして死ぬことである。生きることの目的と答えは、ムスリムとして生まれた瞬間に与えられている。
文明が進むにつれ、キリスト教や仏教などの信仰は徐々に廃れてきたが、イスラム教の信仰はまだ強固に残っている。その理由は、このイスラム教の特徴にあるのかも知れない。
さて、パールロードを東に歩いて、神戸市中央区中山手通1丁目のカトリック神戸中央教会に赴いた。
カトリックは南欧や南アメリカで影響力のある宗教だが、世界宗教の中では「老舗」である。
敬虔なカトリック教徒の家にイコンなどが飾られているのをテレビなどで見ると、何となく温かい気持ちになる。
それにしても、世界各地の宗教施設が高密度で集まる神戸市の北野界隈は、異文化都市神戸を象徴しているような場所である。
カトリック神戸中央教会からハンター坂を上っていく。
ハンター坂を北に上がると、異人館通りという東西通りに至る。異人館通りを西に歩くと、神戸市中央区山本通3丁目にあるシュウエケ邸が見えてくる。
シュウエケ邸は、明治29年にイギリス人建築家A.N.ハンセルが自邸として建築した建物である。
木造瓦葺の2階建てで、煉瓦製の煙突の突き出た屋根に鯱が載るなど、和洋折衷の面白い建物である。庭には灯篭もあるらしい。
今でもシュウエケ・エズラーという方の住居として使われているらしい。
シュウエケ邸は、かつては1階部分の一部と庭園を一般公開していたが、今は閉館している。
室内にはフランス製家具が並び、壁に浮世絵のコレクションが掛けられているそうだ。内部を見てみたかった。