神戸市中央区北野町の地名の由来になったのが、風見鶏の館の東隣に鎮座する北野天満神社である。
治承四年(1180年)に、平清盛が福原京に都を遷した際、福原の鬼門に当たるこの地に禁裏守護、鬼門鎮護の神として、京都の北野天満宮から菅原道真公を勧請したのが、神社の起こりだという。
今では神社の周囲は洋館で囲まれているが、それでも北野町の中心は北野天満神社であると感じる。
毎年境内で行われる北野国際まつりでは、神戸に住む外国人が、民族衣装を着て踊りを披露するなどし、国籍や宗派を越えて交流する。
キリスト教、イスラム教、ヒンズー教を奉ずる人々もここに集う。この古い神社が、国際色豊かな北野界隈の人々の交流の場になっているのが不思議である。
急な石段を登ると、古そうな石造の鳥居がある。鳥居を潜ると、拝殿がある。
この拝殿は、寛保二年(1742年)に建立されたものである。
拝殿のある場所は、展望台のように見晴らしがいい。神戸の市街地が一望できる。
また、拝殿の手前には、水をかけながら願掛けを行う叶い鯉があった。
社務所は銅板葺の簡素な佇まいの建物だ。
拝殿の背後には、石段があり、それを登ると本殿がある。本殿の裏は六甲山である。
本殿は透塀に囲まれている。本殿と透塀も、拝殿と同じく寛保二年(1742年)の造営である。
本殿は、一間社流造である。木材が飴色になって、良い感じで古びている。
祭神の菅原道真公は、学問の神様として崇められている。この高台にある社に参拝するだけで、何かを達成した気になる。きっと試験に合格するだろう。
天神様の神使である牛も、ここでは大理石で造られている。いかにも洋館の町らしい。
本殿の横にある末社の薬照大明神は、神使の狐に守られている。稲荷神の一種なのだろうか。どういう由来の神様かは分からない。
薬照大明神のお隣のお稲荷さんには、狐の像が多数奉納されている。お稲荷さんの土俗的なところが好きである。
日本の神社は、古くからその場所に祀られてきたものが多いが、時代の変遷と共に神社の周辺の環境は変化する。
北野天満神社の周囲も、近代になって異人館街になり、今では神戸を代表する観光地になった。
北野天満神社は、そんな周囲の変化を受け入れ、その中で昔と変わらぬ威厳を保っている。地域の象徴になっている。
変化を受け入れながらも己を失わぬかのような日本の神社が、私は好きである。