北野天満神社からさらに山際まで歩く。北野異人館街の中で最高所にあるのが、国登録有形文化財のうろこの家である。
うろこの家は、明治18年(1885年)に旧居留地付近に建築され、明治38年(1905年)に現在地に移転した。
今まで私が見学してきた異人館の中で、最も古い歴史を誇る。北野異人館の中で、最も最初に公開された建物でもある。
庭先にあるイタリア製の猪のブロンズ像「ポルチェリーノ」は、ルネッサンス後期の彫刻家ピエトロタッカによって製作された作品のレプリカである。
オリジナルはフィレンツェのメルカートヌオヴォにあるという。この猪の鼻を撫でると幸運に恵まれるという。なるほど、鼻の頭が剥げている。みんな幸福を求めている。
うろこの家は、木造2階建て、黒桟瓦葺である。うろこの家の名称は、粘板岩を板状に剥離したものを、魚の鱗状に加工して、外壁全面に貼っているところから来ている。
こんな珍しい外壁を持った建物は、日本ではここだけだろう。
建物は、東西に2棟あり、西側の棟は「うろこの家美術館」として公開されている。
私は先ず東側の棟から入った。
東側の棟には、ヨーロッパのアンティーク家具や高級磁器が数多く展示されていて、見どころが多かった。
入口のアンティーク家具の上に置かれた鸚鵡の磁器は、ドイツの磁器作家T.カーナーが1913年に制作したものである。
日本の明治期の超絶技巧ものの磁器に勝るとも劣らない逸品だ。
入口から入って左手にある応接間は、西側にステンドグラスを嵌め込んだ豪華な部屋である。
部屋の片隅には、見事な木彫り彫刻がなされたアンティーク家具がさりげなく置いてある。
私も一時、こういうヨーロッパのアンティークに憧れた時代があった。
応接間には、ヨーロッパの高級磁器を納めた棚があった。
例えば、デンマークのマルガレーテ女王在位10年を記念して、世界中の王族やVIPに贈られたロイヤル・コペンハーゲンの記念ボウルや、フランス大統領別邸で公賓接待用に制作されたロバート・アヴィランドの「バンガリ・レカミエ」シリーズ、ドイツのクラウトハイムのカップ&ソーサなどが展示してあった。
こんな磁器を一脚でも所有して使いたいものだ。
応接間の北側の部屋は、更にヨーロッパ各地の磁器を展示するスペースになっている。磁器の間と言ってもいいだろう。
ここに展示されているコレクションがまた見事である。
ロイヤル・コペンハーゲンの「フローラ・ダニカ」(デンマークの花)シリーズは、西暦1790年にデンマーク王家からロシアのエカチェリーナ2世への贈物として制作され、その後200年以上制作され続けているシリーズである。
こうした王族が使うような高級品だけでなく、1880年代に大衆用に制作されたロイヤル・コペンハーゲンの「ブルーフルーテッド・フルレース」というシリーズもあった。
大衆用とは言え、これはこれで十分美しい作品だ。
ドイツのマイセンが制作したアンティーク・ドールズは、1850年ころの作品だ。
日本の陶磁器の骨董の世界だと、1850年ころの作品はまだまだ新しいと言える。伊万里焼で言うと、古伊万里というのは元禄のころのもので、幕末の作品はまだ古伊万里とは呼ばない。
陶磁器の歴史は、東洋の方が西洋よりはるかに長い。
1860年ころの古マイセンも多数展示されている。
英王室が愛用するロイヤル・ウースターの「ペインテッド・フルーツ」シリーズも華麗なものである。
ヨーロッパの華麗な磁器を見ると、こちらも豊かな気持ちにはなるが、華麗以上の精神的な深みを感じることは出来ない。
日本の陶器の最高傑作と言ってもよい初代長次郎の黒楽茶碗など、見ると心が吸い込まれるような深みのある作品である。そのような精神的な深さを垣間見せてくれる陶磁器は、西洋にはない。
さて、陶器の間を出て玄関ホールに戻る。ホールの照明や玄関上のステンドグラスが美しい。
洋館を沢山見学すると、西洋建築と日本建築との違いを考えさせられる。
若いころは洋館やヨーロッパのアンティークなど、洋風のものに憧れたが、年齢を重ねるにつれ、本家帰りではないが、古くからの日本のものが良くなってくる。
日本の建築や陶磁器は、日本の自然や風土によく溶け込んでいる。日本人であれば、その良さは年を重ねるにつれて自然と分かってくると思われる。
その良さをなかなか言葉では言い表せないが、一言でいうと、四季の移り変わりや時の変化を感じさせてくれるもの、とでも言えようか。
日本に生まれた以上は、我が国が古くから蓄えてきた文化の豊かな鉱脈に触れる幸せを感じたいものだ。