生田神社の社殿は、昭和20年の神戸大空襲で焼失した。今ある建物は戦後に建てられたものである。
拝殿は、平成7年の阪神淡路大震災で全壊した。
私は、平成8年6月の神戸新聞の一面に、生田神社拝殿復興の記事が載っていたことを、今でも憶えている。
生田神社拝殿の復興は、神戸市民というか、兵庫県民を勇気づけた出来事であると思われる。
生田神社は、数々の戦災や災害から蘇ってきたので、蘇りの宮とも呼ばれている。
拝殿は、朱色の柱や梁と真っ白な壁を持つ社殿に、緑色の銅板葺の屋根が載る、目が覚めるように鮮やかな建物だ。
拝殿前で二礼二拍手一礼をする。正面を見ると、幣殿の向こうの本殿が見える。本殿の左右には、小さな摂社が複数並んでいる。
本殿には、今も稚日女尊が鎮座している。本殿にある御神体は何だろうか。恐らくは鏡であろう。
古びた社殿もいいが、こうした新しい社殿も瑞々しい神意を感じていいものだ。
本殿の北側には、様々な摂社がある。
天岩戸説話で有名な天手力男(あめのたぢからお)命を祀る戸隠神社がある。
天手力男命は、天岩戸に隠れた天照大神を岩戸から引っ張り出した神様だ。本社は信州にある戸隠神社である。
また、伊弉諾尊、伊弉冉尊が最初に生んだ蛭子(えびす)命を祀る蛭子神社がある。
生田神社に限らず、地元を代表する神社は、災害や兵火に遭って破壊されても、地元住民の熱意により、何度も何度も復興される。
その熱意はどこから来るのだろう。確かに神戸から生田神社が無くなれば、大事なものが失われた感覚を持つだろう。
昔から続けられてきた地元のお祭りが大事に続けられる理由は、自分たちの祖先がそのお祭りを大事に執行してきたことにあるだろう。
地元の神社を土地の祖先が大事にして来たことこそが、今の人々が神社を大事にする最大の理由だろう。
神意は受け取る側の人々の気持ちに支えられている。人々の祈りは、決して無駄にはなっていない。