かつて相楽園に建っていた旧小寺邸の本邸は神戸大空襲によって焼け落ちてしまった。
その代わり、という訳でもないだろうが、昭和38年に神戸市中央区北野町のいわゆる異人館街から相楽園に移築されたのが、旧ハッサム住宅である。
旧ハッサム住宅は、明治35年(1902年)に、インド系イギリス人貿易商J.K.ハッサムが自邸として北野町に建てたものである。
木造二階建て、寄棟造、桟瓦葺きで、中央廊下を挟んで左右に居室を置き、前面に開放的なベランダを備えた建物で、コロニアルスタイル(植民地形式)と言われる様式で建てられているそうだ。
私が訪れた日は、内部は公開されていなかった。
旧ハッサム住宅の前には、地面に突き刺さったように置かれた煙突がある。
この煙突は、旧ハッサム住宅の屋根上にあったものだが、平成7年1月17日の阪神淡路大震災の折に、2階の天井と床を突き抜けて1階まで落下した。
建物を修理した際に、1階から取り出され、震災の被害の激しさを後世に伝えるため、ここに置かれたという。
また、住宅前にあるガス灯は、明治7年(1874年)に居留地に建てられたもので、ロンドンで製造されたものである。
日本に現存するガス灯としては、最初期のものに属する。
旧ハッサム住宅は、国指定重要文化財で、毎年春秋の2回、期間を限って公開されているそうだ。
旧ハッサム住宅の東隣には、小寺邸の時代から残る旧小寺家厩舎がある。
この厩舎は、神戸市長の小寺謙吉によって明治43年(1910年)ころに建てられたものである。
煉瓦造りの1階に木造の小屋組みの2階を載せたドイツ風の重厚な造りで、正面1階は馬車庫、2階は厩務員の宿舎で、東側は吹き抜けの馬房になっている。
旧小寺家厩舎は、明治大正期に関西の官庁建築を中心に数多くの建築物に携わった河合浩蔵の代表作の一つとされている。
現存する厩舎でこれだけの規模を持つものは全国的に例がなく、国指定重要文化財となっている。
明治の日本では、馬はまだ主力の乗り物だったろう。馬を飼う資力のある人は、限られていたことだろう。
この厩舎は、現代で言うと、富豪の家にある高級外車を保管するためのガレージのようなものか。
こうして見事な洋式の建築を見ると、明治の日本というものは、一つの様式を生み出していたと言ってもよさそうだ。
イギリス・アンティークの世界では、その時その時の国王の名から様式名が取られているが、いつか日本の明治期の建築や家具も、明治様式と呼ばれるようになるのだろうか。
歴史を観察すると、大衆消費社会が発展すると、文化的な様式は消滅していく。これは世界に共通する現象である。
明治の日本は、民衆の多くは貧しかった半面、文化的な達成は大きかったある意味幸福な時代だったのかも知れない。