ラインの館の前の坂を北に上がり、東西道に突き当たると西に歩く。すると、円形の北野町広場に行き着く。
広場の西側に見えてくるのが、国指定重要文化財の洋館、萌黄の館である。
神戸市中央区北野町3丁目にある。
北野町広場のベンチには、サックス奏者のブロンズ像が置かれている。神戸は、ジャズの町でもある。
萌黄の館は、明治36年にアメリカ総領事ハンター・シャープの邸宅として建てられた。
萌黄の館は、昭和55年に国指定重要文化財になった。当時の壁は白く、「白い異人館」と呼ばれていた。
昭和62年からの修復工事で、建築当時の萌黄色の外壁が復元され、萌黄の館と呼ばれるようになった。
木造2階建て、寄棟造り、桟瓦葺、下見板張りの洋館である。今まで見たシュウエケ邸、北野物語館、ラインの館のどれも同じ建築様式だった。当時北野町で流行した建築様式なのだろうか。
萌黄の館西側には、外側に突き出した、形の異なるベイ・ウィンドーがある。
南側に迫り出した2階バルコニーの下にテラスがあり、その中央に建物への入口がある。
玄関から入ってすぐ左の南西の部屋は応接室である。
萌黄の館各部屋には、重厚な造りの暖炉(マントルピース)があるが、各暖炉は異なる華麗な意匠のタイルで飾られている。
応接室の北側は、書斎である。
1階南東側の食堂は、かつて小林家が居住していたころの面影を残している。
こんな部屋で朝食を摂るとさぞ気分がいいことだろう。
洋館の見学で楽しいのは、部屋ごとに照明の形が異なることである。
食堂の照明は、アールデコ調のもので、モダンな意匠であった。
食堂にあった置時計は、ドイツの時計メーカーKINZLE製のものである。
小林秀雄が約80年前にヨーロッパで購入したものらしい。30分に1度、美しい音色を奏でるそうだ。
食堂南側の棚の上にある大理石の像は、元々ムッソリーニの所有物だったそうだが、小林の祖父で日本画家の菅楯彦が自身の作品と交換して譲り受け、イタリアから持ち帰ったものらしい。
ドイツの時計とイタリアの大理石像があるというのが、小林がこの館に住み始めた当時の日本の国際関係を現していて、興味深い。
小林秀雄夫人は、昭和52年の連続テレビ小説「風見鶏」で北野異人館街が脚光を浴びてから、観光客が自宅周辺に大勢訪れるようになったのを見て、観光客に喜んでもらおうと、この館の家具調度を残したまま借家に移り、館を一般公開したそうだ。
小林夫人の心意気で、昭和の社長一家がこの洋館で生活した当時の様子を今でも偲ぶことが出来る。
思えば人生の大半は家で過ごすのだから、アンティークの家具1つでもいいから、家に美しいものを置いていれば、豊かな気持ちで日々を過ごせるだろう。