布引の滝の西側に聳える城山の山上にあるのが、滝山城跡である。
滝山城は、鎌倉時代末期に赤松円心が鎌倉幕府軍と戦うために拠点にした城と言われている。
戦国時代には、松永久秀の支配下となった。弘治二年(1556年)、久秀は主君の三好長慶をこの城に招き、猿楽を催し、連歌会を開いてもてなしたという。
その後、滝山城は、畿内に入ってきた信長の支配下に入り、家臣の荒木村重が城を守るようになった。
天正七年(1579年)、村重が信長に謀反したため、織田軍に攻められて落城した。
滝山城跡に登るには、2コースある。1つは城山の南東の登山口から登るコースである。
私は、南東側の登山口からは登らず、北東側の猿のかずら橋という、生田川にかかる橋を越えて行く道を選んだ。
橋を越えるとすぐに登山道になる。城山は標高約323メートルだが、結構傾斜が急であった。またこの日は猛暑日だったため、タオルで汗を拭けども拭けども汗が途切れることなく流れ出る。
途中、神戸市街を一望できる地点があったので、そこで一息ついた。
それにしても異常な暑さだ。気を取り直して山道を再び登り始めた。
しばらく行くと、城の縄張りを書いた説明板があった。
滝山城跡は、曲輪が連続する連郭式の山城である。南北約600メートル、東西約400メートルに渡って防御機構が展開する。堀切や土塁が確認できる。
山頂を目指して歩くと、切岸があり、切岸上に登るごとに曲輪がある。本丸手前の曲輪には、東屋がある。
東屋のある曲輪は、本丸の一段下にあるので、二の丸跡であろう。
ここから先には本丸しかない。
山頂にある本丸跡に登ると、「史蹟滝山城址」と刻まれた石碑が建つ。
滝山城跡は、鎌倉時代末期の元弘の変のころから天正時代の争乱まで、戦続きの城だったが、それほど有名ではない。
この城からは、眼下の大坂湾や西国街道を見下ろすことが出来るので、要衝の地であったことは確かであろう。
神戸という都市のすぐ裏に、戦国の世に戦乱の舞台になった城跡が残っている。今は登山客もほとんどなく、酷暑の中、静かに佇んでいる。まるで白昼の幻のように感じた。