神戸らんぷミュージアム 中編

 昔使われた照明具として思い浮かぶのはロウソクだが、実は江戸時代までロウソクは非常に高価で、庶民にはとても手が出せるものではなかった。

 今では石油パラフィンを使った安価なロウソクが大量生産されているが、昭和初期まで作られていた和ろうそくは、ハゼノキの実から搾り取った木蝋を溶かして、灯芯の周りに手でかけて、乾燥してから更にかけるという作業を繰り返して作られた。

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和ろうそく

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 江戸時代後期になると、ロウソクの値段は下がったが、それでも富裕な武家や町家に人が多く集まる場合でないと使われなかった。

 例外は遊郭や料亭で、吉原遊郭では惜しげもなくロウソクが使われたそうだ。

 江戸時代には、燭台や提灯に残った溶けた蝋をかき集めて販売する「ロウソクの流れ買い」が商売として成立していたという。それほどロウソクは貴重品だったのだ。

 私は昨年、勝新太郎主演の映画「座頭市」シリーズをよく観たが、映画の中でそう豊かでない家の照明としてロウソクが出て来ていた。ロウソクの希少性を考えれば、時代考証としては少しおかしいことになる。

 高い支柱の上の台にロウソクを差して部屋の照明に使われたのが燭台である。

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燭台

 燭台は鎌倉時代には登場していたそうだが、普及しだしたのはロウソクの値が下がった江戸時代になってからである。

 燭台を手にもって携行できる形にしたのが手燭である。手燭は、屋内を移動する際の灯りとして使われた。

 行灯のように、ロウソクの周りを火袋で覆ったものを雪洞(ぼんぼり)という。雪洞の語は、「ほんのり」から来ているらしい。雪洞がほんのりした灯りを漏らしたからだろう。

 雪洞には、室内設置用の雪洞燭台と、携行用の雪洞手燭があった。

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手前に手燭、奥に雪洞手燭や雪洞燭台がある

 江戸時代後期には、西洋渡来のギヤマン(ガラス)を利用したギヤマン雪洞燭台なども登場した。

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ヤマン雪洞燭台

 上の写真のギヤマン雪洞燭台は、外国製のガラス燭台に、象牙の枠と鼈甲の透かし彫りを配した火袋を載せている。

 これなど、江戸時代後期には超高級品だったことだろう。

 また、細い割竹の枠に紙を張って作った伸縮自在な火袋の底に、ロウソクを立てて用いた携行用の照明器具が提灯である。

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提灯

 さて、幕末になって西洋から日本に上陸してきたのがランプである。

 油槽に溜められた油を灯芯に供給し、火のついた灯芯をガラス製の火屋(ほや)で覆って保護した照明器具である。

 完全燃焼させるには上昇気流を発生させなければならないため、火屋の形はくびれていて、上は開いている。

 石油ランプ登場以前は、西洋では植物油を用いたランプが使われた。

 植物油は、石油製の灯油よりも粘着性が高いので、重力を利用したり、ネジとゼンマイで動くポンプを利用して、灯芯に油を供給するランプが作られた。

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植物油を用いたランプ

 石油から灯油が作られるようになると、植物油よりも流動性があり、熱量も高いため、石油を用いたランプがたちまち主流となった。

 初めて石油ランプが日本に上陸したのは、万延元年(1860年)に幕府医官林洞海が渡米した友人からランプを譲り受けた時だというのが通説である。

 横浜、長崎、函館、神戸の開港に伴い、西洋から石油ランプが上陸し、明治になって大変な勢いで日本中に普及した。

 石油ランプは、文明開化の象徴になった。

 西洋の石油ランプは、油壷が陶器で作られ、火屋がガラスで作られた。油壷にも火屋にも華麗な装飾が施されていた。

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華麗な西洋の卓上ランプ

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ユーゲントシュティール模様の卓上ランプ

 石油ランプの油壷と火屋の間にはネジがついている。このネジをひねって、灯芯の露出を調節し、明るさを調整した。

 森鷗外の「追儺」には、以下の描写がある。

どうして何を書いたら好からうか。役所から帰つて来た時にはへとへとになつてゐる。人は晩酌でもして愉快に翌朝まで寐るのであらう。それを僕はランプを細くして置いて、直ぐ起きる覚悟をして一寸寐る。十二時に目を醒ます。頭が少し回復してゐる。それから二時まで起きてゐて書く。

 明治のランプの使い方がよく分かる。

 石油ランプは、卓上に置いて使用するものの他に、天井から吊るして使用するものや、壁に設置して使用するブランケット形状のものもあった。

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吊りランプ

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ブランケット型ランプ

 また、西洋の邸宅のフロアでは、丈の高いフロアランプが使われた。

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フロアランプ

 上の写真のフロアランプは、ガラス工芸品のようなガラス製の支柱や油槽や火屋を、ブロンズの装飾金具を用いて飾った精巧なランプである。

 石油ランプが上陸してから、まず火屋が国産化されるようになった。

 明治6,7年には、純国産ランプが出回るようになった。明治14,15年には、本格的に国産ランプが生産されるようになった。明治20年代には、国産ランプが輸出されるようになった。

 日本でのランプ使用は、まず畳を敷いた座敷での利用から始まった。

 江戸時代の灯台のように、座敷で利用しやすいようにランプの台が工夫された。

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日本化された座敷用ランプ

 吊りランプも西洋のように豪華な装飾を施したものではなく、亜鉛引きの鉄線の枠に簡素な火屋をつけただけの素朴なものが普及した。

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国産吊りランプ

 確かに和風建築には、簡素な吊りランプの方がよく似合う。

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国産卓上ランプ

 ランプは、燃料である灯油を供給しなければならないが、便利な電気の照明よりも、揺らめく炎に味があるように思う。

 美しいランプを観て、我が書斎の艸玄書屋にも、古い卓上ランプを置いてみたくなった。