城山から下山して、神戸市葺合町布引山にある臨済宗の寺院、徳光院を訪れた。
この寺院の歴史は実は新しい。創建は20世紀に入ってからで、明治39年(1906年)である。
この地には、元々役小角が創建した滝勝寺という真言宗の寺院があった。
しかし天正七年(1579年)の織田軍と荒木村重の合戦で滝山城が落城した際、滝勝寺も焼亡してしまった。
現在の川崎重工につながる川崎造船所の創業者川崎正蔵が、明治39年に滝勝寺の跡地に徳光院を建てて菩提寺とした。
いわば個人が建てた寺だ。
石段を上がって境内に入ると、左手に古びた多宝塔が見える。
この多宝塔は、内部の木材に文明五年(1473年)の銘文が残されている。概ねそのころの建立であろう。
私が史跡巡りで訪れた10番目の多宝塔である。国指定重要文化財だ。
内部には、文明八年(1476年)に制作された薬師如来像が祀られている。
ところで、20世紀初頭に創建された寺院に何で室町時代の多宝塔があるのか不思議に思われるかも知れない。
この多宝塔は、元々神戸市垂水区名谷町の真言宗の寺院、明王寺にあったものだが、川崎正蔵が明治33年に自邸に移築し、更に昭和13年に現在地に移されたそうだ。
多宝塔を自宅に移築するなどというのは、何とも驚くような話だ。
本堂には、平安時代に制作された木造持国天立像と木造増長天立像が祀られている。どちらも兵庫県指定文化財である。
仏像も川崎正蔵が購入して祀ったものだろう。
多宝塔以外の伽藍は、明治以降に建てられたものであろう。しかし不思議と徳光院の伽藍は、既にかなり時代を経た建物に見える。
この徳光院は、大企業の創業者が近代になって建てた寺である。1000年以上続く企業は稀だが、1000年以上続く寺院は数多い。この寺院は、ひょっとしたら、川崎重工よりも長く後世に伝わるかも知れない。
寺院を築くというのは、言い方がおかしいかも知れないが、実は最高の道楽なのかも知れない。
最近怠っているが、私も2年前に祖母の形見の仏壇を自宅に据えてから、しばらく仏壇に向かって読経をしたり真言を唱えたりした。それを続けるうちに、ふと自分用の寺院が欲しくなってきたことがある。
「寺が欲しい」というのは、いかにも奇態な欲望だが、読経などのお勤めを続ける内に、仏像に対面しながら、全てを忘れて静かに読経できる専用の空間が欲しくなってきた。つまり自分用の寺である。
とは言え、私などは僧侶としての修行や勉強をしたわけではないので、勿論寺を持つ資格はない。
しかし読経をすると、いかにも木造の寺院建築が、経に相応しい空間に感じられる。寺院建築というものは、実は経文の内容を視覚的に地上に実現するためのものなのかも知れない。