旧辰馬喜十郎住宅の隣に、辰馬本家酒造株式会社が経営する白鹿記念酒造博物館がある。
辰馬本家酒造は、寛文二年(1662年)創業で、白鹿は辰馬本家酒造が造る酒の銘柄である。




白鹿記念酒造博物館は、辰馬本家酒造によって、明治25年築造の煉瓦造りの酒蔵を酒蔵館として利用して、昭和57年に設立されたが、平成7年の阪神淡路大震災により、旧酒蔵館は倒壊した。




煉瓦造りの建物が地震に弱いことがよく分かる。煉瓦造りの旧酒蔵館は、貴重な遺構であった。
旧酒造館の北側にあった明治2年築の酒蔵は、震災での倒壊を免れた。今の酒蔵館は、この酒蔵を利用してオープンしたものである。
酒蔵館の前には、井戸から水をくみ上げる撥ね釣瓶が展示されている。

蔵で使用する水は、ここから汲み上げられた。
蔵の南側は、蔵前と呼ばれ、桶等の酒道具の干場になっていた。
毎年秋には、秋洗いと言って、蔵前で酒造道具の洗浄と点検が行われる。

どんな仕事でも、自分が仕事で使う道具を手入れして、大事に扱うことが、その仕事の第一歩であろう。
仕事道具を大事にしない人間が、自分の仕事を大事にするとは考えられない。酒造のような職人仕事なら猶更だろう。
酒蔵館の前には、酒林と呼ばれる杉の葉の玉が吊るされている。

酒林は、杉の葉を丸い竹かごに挿して球状にまとめたもので、その年の新酒が出来たことを知らせるため、古くは酒蔵の軒先に吊るされた。
さて、酒蔵館に入って行く。

酒蔵は、南側にある平屋建ての前蔵と、北側にある二階建ての大蔵から構成されている。
前蔵には、温かくてもよい作業場を設置している。
大蔵には低温が必要な作業場が設置され、前蔵から温かい空気が入らないように、二か所の出入口を除いて前蔵との間を壁で遮断し、北側に窓を設け、六甲山から吹いてくる冷たい北風の六甲颪(おろし)が入るようにしている。

灘五郷の酒は、北播磨で作られる酒米の山田錦、西宮の地下水である宮水、寒造に好適な気候を齎す六甲颪、丹波から出稼ぎに来る酒造りの職人丹波杜氏が合わさって造り出される。
杜氏は蔵の総責任者で、職人集団である蔵人を組織し、酒造り全般を指揮し、責任を負う。蔵人たちからは、「おやじ」と呼ばれた。


杜氏の下に、麹造りの責任者の代司、酛(もと)造りの責任者の酛廻り、麹、酛以外の作業を指導し杜氏を補佐する頭がいた。
代司、酛廻り、頭の3人は三役と呼ばれた。
その他に蒸米の責任者の釜屋、道具整備と仕込み水の責任者の道具廻しがいた。
その下に上人、中人、下人、追廻し、飯炊きという作業人がいて、追廻しから修行を始めて、経験を積んで上に上がって行ったそうだ。
蔵には、蔵人たちが休憩したり食事をする会所部屋がある。


酒造りは寒い季節に行われる。人力で作業が行われた時代は、冷たい水に触れなければならなかっただろう。
厳しい作業の中から、芳醇な酒が生み出された。
蔵人たちの作業に思いを馳せながら、造り出された酒を飲むのもいいことだ。