兜麓底績碑の前から立ち去り、廣田神社境内に進んだ。

廣田神社境内は、私の父が子供の頃遊んでいた場所だ。
廣田神社は、「延喜式」で定める二十二の名神大社の内の一社である。平安時代初期には、全国有数の神社となっていた。
明治4年には、社格制度が復活し、廣田神社は兵庫県唯一の官幣大社となった。
明治7年には、境内地を分割譲与し、末社の戎宮総本社西宮神社を独立させた。

西宮は、都の西にあるお宮という意味である。この街は、廣田神社と共に発展してきた。
ところで、西宮と言えば、プロ野球球団阪神タイガースの本拠地の阪神甲子園球場があることで有名である。

私は母方祖父から3代続いての阪神ファンだが、必勝祈願絵馬を買うほど熱狂的なファンではない。
廣田神社は、元は西宮市上ヶ原の高台の高隅が原にあったが、その後現在地から北東の御手洗川沿いに遷座した。

廣田神社の社殿は、昭和20年の西宮空襲により焼失した。
昭和31~38年に、伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を移築改築し、現在の社殿が建った。



本殿は、唯一神明造である。だが外部からは窺がうことが出来ない。


また本殿に向かって右に、住吉大神、八幡大神を祀る脇殿が、向かって左に諏訪建御名方大神、高皇産霊大神を祀る脇殿がある。


本殿や脇殿の辺りは、森厳とした空気が漂っている。
本殿の西側には、摂社の伊和志豆(いわしず)神社がある。
祭神は、伊和志豆之大神であるが、一説では神功皇后の四世の祖の日子坐(ひこいます)王とされている。


延喜の制では、伊和志豆神社は官幣小社とされていた。
元は廣田神社南東1.5キロメートルのところに鎮座していたが、大正6年に廣田神社境内に移転した。戦後は廣田神社に合祀されていたが、平成2年の御祭典に際して社殿を再建して奉斎することになった。
本殿東側には、神功皇后の命で廣田神社を祀った葉山媛命を祀る齋殿(ときどの)神社がある。

このお宮には、神祇伯白川氏が毎月8日の祭日に参拝していたという。
齋殿神社に参ると、伝説的な時代である神功皇后の時代が、実感あるものとして身に迫ってくる。